第27回参議院議員通常選挙が始まっています。
なんだかふんわりと耳障りのいいことを言ってみたり、給付金をばらまいてみたり。
国民の皆様へのご機嫌取りの時間が始まったなぁと感じています。
今回の選挙戦で特に感じてしまうのが、氷河期世代への支援みたいな話が割と大きくアピールされていて、人口の多いこの層の票を取りに来ているなぁ。ということを感じるのです。
しかし、まさに氷河期世代の私(1976年生まれ2000年大卒)の私としては、何をいまさら?という気分を超えませんし、社会保障はこのままでは詰みでは?という感覚の方が強いです。
冗談でも何でもなく、訪問販売の営業の仕事に200人とか、公務員ひとりの採用に300人とかあった時代です。
平気で走攻守のバランスが取れた経験値のある即戦力が新卒で欲しい。とか言われてました。
で、苦しかったからそれに報いて欲しい。
とは、これっぽっちも思っていません。
むしろ、こんなブラック労働は我々の世代で終わりにせねばならぬ。と思います。
負の連鎖を断ち切るために、お前らの世代は捨て石になってくれと言ってくれる狂人がいたら、投票してしまう気がするのです。
世代をトリアージするとすれば、私たちの世代は今すぐ救わなければならない赤タグでしょうか?
あるいは、もう救う見込みのない黒タグでしょうか?
なんとなく、薄々、自分は黒タグではないか?そんな感覚があります。
でも、まだ緑タグであるという期待もどこかに持っているのです。
緑タグであるとするのであれば、自分のことは後回しにして、赤タグの人々に手を差し伸べるべきです。
黒タグであるとするなら、自分の血を輸血することで救える赤タグがいるのなら、最後の一滴まで搾り取られるべきです。
では、本当の赤タグは誰か?
今の老人たち?違う。今の子供たち、これからの子供たちではないかと思うのです。
そんな未来のために、黒タグの私は捨て石になるべきであるような気がしているのです。
ところで、私はどんな捨て石になることができるのだろうか、そんなことを考えながら、架空の政党「氷の刃」のマニフェストを考えてみました。
うん、考えてみたけど、この政党、議席は取れない気がする・・・
「氷の刃マニフェスト」
序:檄文
我々は報われなかった。かといって苛烈に虐げられてもいなかった。
漫然とした不安と、過酷で報われない作業の間で、第二第三の我々が生み出されるのをただ指をくわえて見ていた。
我々が意図せず行った抵抗は、せめて第二第三の我々を生み出さぬよう、子をなさず、ただ茹で上がるのを待つことだけだった。
いつか報われるのではないか、誰かが助けてくれるのではないかと夢想していた。
しかし空から美少女が降ってくることも、引き出しの中から猫型ロボットが現れることもなかった。
もちろん、唐突に超常の力を得ることもなかった。
我々よ、氷河期世代の我々よ、いっそすべてを捨ててしまおう。
自己責任、そう言われるのをいっそ突き抜けよう。
我々よ、氷河期世代の我々よ、いっそすべてを捨ててしまおう。
自己責任、そう言われるのをいっそ突き抜けよう。
全ての期待を捨て、己の命を氷の刃としよう。
氷の刃が溶けてしまう前に、その冷たく鋭い刃を世界に突き刺そう。
失敗?なにを恐れる必要があるというのか?
再出発など期待するな、失敗したとて屍になる。ただそれだけのことだ。
成功?なにを誇る必要があるというのか?
富をなし、財を成したとて、残す相手といえば愛猫ぐらいのものだ。
今一度言う。
我々よ、氷河期世代の我々よ、いっそすべてを捨ててしまおう。
これから与えられるわずかな安心など捨ててしまおう。
誰かから施される残飯のような餌で、ただ漫然と生きながらえることに期待するのをやめよう。
自己責任といわれて打ち捨てられてきたのに「今更」差し伸べられた手など振り払おう。
自らの手で、足で、道を作ろう。
そして、それすら笑って捨ててしまおう。
これから与えられるわずかな安心など捨ててしまおう。
誰かから施される残飯のような餌で、ただ漫然と生きながらえることに期待するのをやめよう。
自己責任といわれて打ち捨てられてきたのに「今更」差し伸べられた手など振り払おう。
自らの手で、足で、道を作ろう。
そして、それすら笑って捨ててしまおう。
その道を歩く誰かに名など残すな。それは汚辱である。
今できることをして、ただ散っていったものの道。ただそれだけで良しとしよう。
己の矜持と自己満足で、最後の刃を突き立てよう。
今一度言う。
氷の刃が溶けてしまう前に、その冷たく鋭い刃を世界に突き刺そう。
起:日本と日本を取り巻く現状
- 現状の日本において、産業の発展、いわゆる富国強兵的なアプローチを考える場合、人口動態に鑑みてどう考えても労働集約的な産業を発展させることは理にかなっていない。
- 高度成長期から続くインフラ・制度の継ぎ足しにより九龍城のように複雑化した社会インフラについて、何とか延命してきたものの老朽化・陳腐化が起こっており、既存を生かしながら新しいものを積み上げていくよりも、一度スクラップビルドを行った方がすっきりする状況が散見される。
- 先端技術、産業においてトップランナーは存在するが、圧倒的な覇権を握り、ルールメーカーとなっているものは大変に少ない。
- 日本のみならず世界において高齢化は (人の寿命が随分と延びたことにより)避けようもない
- 日本のみならず世界において少子化は子供を持つことのインセンティブ (機械化・省力化の発展による、将来の労働力としての期待)減少により避けようもない
承:現状をいかにして打破するのか?
- 少人数あるいはシステム(コンピューターシステムではなく運用フローという意味合いでのシステム)機械化・自動化による産業推進による産業発展の道筋をたてる。対象は何かを生産する産業という意味合いにおいて、製造業・農業・漁業・酪農をメインターゲットにすべきと考えられる。
- いっそ、社会インフラ(街)ごとリビルドする方策を考えるべきであると考える。リビルド対象は1970年~1980年代にいわゆる団地として開発された住宅エリア・耕作放棄地になりつつある農地等を対象とし、ピックアップしたものの中のいくつかに、リソースを集中させて5~6年程度で再開発モデルをいくつか(最大でも20程度?)実現する。
- いくつかの具体的プロジェクトのもとに、『対象プロジェクトに資金を徹底的に透明性をもってえこひいきして』これを作り出す必要があると考える。
- これを止める理由は特にない。
- これを止める理由は特にない。しいてあげるとすれば、絶滅しないためにいかに繁殖していくかという問題である。
転:そのために我々氷河期世代は何ができるのか?
現状を打破するための礎として、支援・再就職の斡旋という耳障りの良い言葉に従うのではなく自ら修羅場に足を踏み入れることである。
就職氷河期への支援という言葉の裏に隠された誰もやりたがらない仕事を斡旋して人手不足を解消し、負債を押し付けようという人々の負債を引き受け、既得権益の負債を代わりに払ってやることではなく、我々の世代が次の世代に何かを残すことだけを考え、現状を打破した遺産を次の世代に託すことである。
我々の世代は恐ろしく強い、ブラック労働に耐えてきた。おそらくかつての奴隷たちよりも過酷な労働環境に耐えた経験と実はかなり高度に教育された教養、知的財産を持ち合わせている。
そしてそれを発露するだけの時間は「今のところ」まだ20年弱はあると推測できる。
我々が行うプロジェクトは、我々が考え計画したものを下の世代に問い、彼らが望むものを作り、くれてやるものであるべきである。
結:私たちを指示してほしい皆様への呼びかけと私たちを指示してほしくない人たちへの呼びかけ
私たちとともに立ち上がろう、これまでの負債を返すためではなく、これからの遺産(レガシー)をイチかバチか作り上げよう。そのために自分の命をベットしよう。
なに、賭けに負けたとて野垂れ死ぬだけだ。
これまでの負債を緩やかに甘言をもって我々にあるいはこれからの世代に押し付けようとするものと決別し、遺産を受け取るこれからの世代がいれば喜んでそれをすべてくれてやろう。