-東京は夜の7時-
ピチカート・ファイヴ(1993-12-01)
私は凍えながら寝袋に埋もれてアラスカの夜空を見つめながら、瑠那の言葉を思い出していた。
「うーん、いつかオーロラを見たいかなあ。北極に行って、寝袋にくるまりながら、オーロラが出てくるのを待つの。きっと寒いから先生、一緒に寝袋に入ってくれる?」
瑠那の言葉を思い出しながら、私は一人、寝袋にくるまって凍えている。
時刻は深夜1:15、今頃東京は夜の7時頃だろうか。
私は起き上がり、音楽をかけた。
今頃、瑠那は出勤の時間だろうか。今となってはどこで働いているのかも、そもそもまだ同じ風俗の仕事を続けているのかもわからない。
「ねえ、私が瑠那って名前じゃなかったら私達逢わなかった?」
「那音って名前でも逢えていたかもしれませんよ。子供ができたら那音って名前にしましょう。瑠那の那に音で那音、那由多の彼方まで音が広がるように、小さな幸せが広がりゆくように。」
瑠那とそんな会話をしたことを覚えている。東京中のいや日本中の店で、瑠那の名前を探した。那音の名前も探したがどこにも瑠那を見つけることはできなかった。
少なくとも瑠那はもう瑠那という名前ではないに違いない。
もう瑠那という女性はどこにもいない。
「東京でもオーロラ見えたらいいのにね。仕事の帰りにオーロラが見えたら、ちょっとだけ元気が出ると思わない?」
私は凍えながら、彼女の言葉を思い出していた。
私は凍えてふるえる指でキーボードを叩き、最後のプログラムを打ち込んでいた。
if(NewMoon()&&Time(GMT+9)==”1:00″){Aurora();}
たったこれだけの処理を書きこむのに何度も、何度も何度も、ホットバタードラムのカップに手をあてて、指を温める必要があった。
Aurora()の先にすべての起動要素が書き込まれている。
全ての処理は毎月、新月の夜1:00に東京の夜にオーロラを出現させた後で実行が開始される。処理はオーロラが出た後、それが一番美しく煌めくであろう1:15分頃に始まる。そんなプログラムだ。
ヘッドホンから曲が聞こえてくるのを聴きながら夜空を見上げると、新月の、アラスカの夜空にオーロラがきらめいていた。
これを受け取ったその瞬間に、衛星軌道から二匹の蜘蛛が這い出し、一匹は月を、もう一匹は地球を目指して糸を吐き出し始めるはずだ。
もちろん、最初のオーロラの出現は失敗するだろう。二回目も失敗するに違いない。
「先生の前ではいつも完璧な100点でいたいの。だから、70点とか60点を見せちゃうようなことはできないから先生とずっと一緒にはいられない。」
わたしは瑠那の言葉を思い出していた。
「いつも100点なんて取らなくても構いませんよ。60点だって、30点でも、いや0点だって、瑠那さんがいてくれるだけで、それでもう僕はありがとうって感じなんです。130点なんですよ。」
私は瑠那にそう言ったことはよく覚えている。瑠那はそれを聞くと少し悲しそうな顔をして、消えた。
オーロラの出現は何度も何度も、何度も失敗するだろう。だが幾度目かのトライできっと、東京の夜空にオーロラを出現させるに違いない。
オーロラを見たら、瑠那は私のことを思い出して、少しだけ微笑んだりしてくれるだろうか。
“トーキョーは夜の七時
-東京は夜の7時-ピチカート・ファイヴ(1993-12-01)
嘘みたいに輝く街
とても淋しいだから逢いたい
トーキョーは夜の七時
本当に愛してるのに
とても淋しいあなたに逢いたい”
私は流れてくる曲を聴きながら、目を閉じる。
ヘッドホンを外すと、寒さに氷が凍てつく音だけがしていた。
ホット・バタード・ラムをすすると、私の喉の音がひどく大きく響く。
落ちてくるようなオーロラが、たなびく白雲のように揺れて緑に光っている。
どこか遠くで氷が啼いている。
私はプログラムの送信ボタンを押した。
一本の白く輝く糸がゆっくりと、地表に振り落ちる雨粒ほどの速さで空から降りてきた。
あまりにすべらかな糸で、糸そのものは漆黒であるのに、星明りを受けて白くきらめきながら降りてきた。
北緯18度・東経135度の位置にそれは降りてきた。
一方で、もう一本の黒い糸が夜空の闇に吸い込まれていき、それは月を目指していた。
白い糸が地球にたどり着き、深い海の底度とぐろを巻き続けているというのに、黒い糸はまだ月を目指していた。
次の新月の夜、黒い糸は月へとたどり着いた。
そこから7日ほど後のことである。
気が付けば、バベルと呼ばれる軌道エレベーターがそこにあった。
後にそんな伝説が生まれた。
ホット・バタード・ラム
ラム ゴールド 45ml
お湯 115ml
バター 8g
砂糖 1tsp
温めた耐熱グラスに砂糖を入れ、少量の湯で溶かし、ラムを注ぐ。
湯で満たし、軽くステアする。
バターを浮かべる。
