木星
周期:12年
逆行周期:1年程度の間隔で4ヶ月程
自由や寛大さ、信頼といった物事を象徴します。
「どのように発展していくのか」という傾向が木星との位置に現れると思います。
木星は(太陽を除けば)すべての惑星の中で一番大きな惑星です。安定感や、安心感といったものを与え、自信につなげてくれるように思うのです。
木星にはJupiter(ジュピター)、ローマ神話における主神の名前が冠されています。ジュピターは天空の神、気象現象(特に雷)をつかさどる神だとされています。主神であり雷を操る神という事で、ギリシャ神話におけるゼウスと同一視されています。
ゼウスは言うまでもなくギリシャ神話の主神です。黄道12宮の神話は大体このおっさんが絡んでいます。
牡羊座の羊は継母にひどい目にあっている兄と妹の逃走を助けるためにゼウスが準備した脱出用の車ですし、牡牛座の牛はエウロペをナンパした時の車です。双子座の片方はこのおっさんの息子ですし、蟹座の蟹はこのおっさんと嫁の夫婦げんかに巻き込まれた被害者です。獅子座のライオンも同じくこの夫婦の夫婦喧嘩の被害者です。被害者友の会です。
乙女座の乙女は弟の不始末をこのおっさんがごり押しで何とかしちゃった感じですし、射手座も息子の不祥事をこのおっさんが力技でうやむやにしている感じです。水瓶座にいたっては、多分このおっさんの愛人です。
天秤座と蠍座、山羊座と魚座辺りはゼウスの関係はそこまで強くないような気がしますが多分何かしらで裏で糸を引いています。多分山羊座のパン君の恥ずかしい恰好を世間にさらそうと思いついたのはこのおっさんで、ノリノリでやってます。
結構な勢いでやんちゃの限りとその結果生じた揉め事をもみ消す。的なことをしているゼウスですが、そんなことができるのも彼の実力があっての事です。多少の事は許されてしまうほどの圧倒的な実力と自信に満ち溢れたゼウスの名が冠された惑星。それが木星です。
木星の性質は発展的なものです。ゼロから何かを作り上げて発展するというよりは、本来持ち合わせている実力と実行力という確かな礎を元に拡大し、発展していくという類の発展です。十分な基礎があって、圧倒的な物量で多少の些事を飲み込みながら拡大していくものになります。
木星の逆行について
木星の性質は確かな礎と圧倒的な物量で物事を推進していくというものになります。木星が逆行するとき、木星の性質が強く出すぎることになります。木星が逆行している。という事は、地球が木星に近づき、追い越しているときです。木星の性質を地球が強く感じている状態と言えます。
木星の影響が強く出すぎる時、何が起きるでしょうか。多くの場合、熱狂を生み出します。盲目的な信頼と度を越した拡大を生みがちな状況。それが木星が逆行している状況という事になります。そして、行き過ぎたものはやがて崩壊を生み、新たな創造はその中からこそ生まれるものなのです。
木星とサイン(星座)の関係について
牡羊座の木星は振り回されます
白羊宮(牡羊座)の木星は全体を見ることができません。それは白羊宮(牡羊座)が極めて個人的なサインであるという事に由来しています。全体を見るというよりは、自分(達)の問題で手いっぱいな状態と言えます。
良くも悪くも直観的に動きます。多くの場合自分たちの現状をよくするために、他者の事はさておき、自分たちの中の事に注力することになります。社会的な貢献や問題解決をするというよりも、自分たちの快楽や自分たちの問題解決を優先させ、それが他者を害するという事を気にしません。というよりはむしろ、気にしているゆとりが生まれないのです。
物事の始まりはいつも小さな世界から始まります。それがどれほど大きく世界を変えるようなものであったとしても、始まりは小さな世界、自分の身の回りを変えるための変化であったはずです。
小さな世界のなかで一喜一憂しているものに大局をいくら説いたところで、感情の動きは一喜一憂に引きずられます。大局観の中で動いていたとしても、小さなことで振り回されるのですから、大局観の中で動いていなければなおさらです。
牡牛座の木星は見返りが欲しい
金牛宮(牡牛座)の木星は分かりやすい結果が出ることを好みます。直接的な結果を手に入れることで、自分たちの行動が正しかったという安心感を求めるのです。
金牛宮(牡牛座)の木星のことを考えると
不管黑猫白猫,捉到老鼠就是好猫
白猫であれ黒猫であれネズミを取るのが良い猫だ
鄧小平 1904.08.04-1997.02.19
という鄧小平の言葉を思い出します。とても現実的で、清濁併せ飲みながら結果を出すという事に取り組むという感じは、木星が白羊宮(牡羊座)から金牛宮(牡牛座)へ移動する時期の生まれの方らしい発言だと思うのです。
金牛宮(牡牛座)の木星にとって、方法はどうあれ、目の前で直接的に成果が出る行動こそが重要です。容易で確実に目に見える成果が出るものであればあるほど、金牛宮(牡牛座)の木星にとってはその方法、行動は評価に値するものになります。
双子座の木星は手を広げます
双子宮(牡牛座)の木星は様々な可能性を探します。結果として様々なことに触手を伸ばし、全てを追いかけようとします。
本来の木星は自分自身の到達する道を指し示し、目標を定めてそこへ向かっていくことを支援する惑星ですが、双子宮(双子座)の木星の目にはいまだ唯一の目標が定まっているという状況ではありません。自分自身あるいは自分たちの可能性が複数見えている。というような状況です。双子宮(双子座)の木星は自分たちの可能性を否定しません。もちろん最終的には絞り込むつもりですが、現時点ではこれという事を見定めるよりも、いくつかの可能性を試して、自分自身や自分たちに最もあったものを見つけ出すことを望んでいます。
木星の本質は拡大であり、成功への道筋を求めることにあります。そのため、現時点では様々な可能性の中から成功の可能性の高そうなものを探っていこうとするのです。ただし、様々な可能性が見えている分、困難ではあるが高い目標を定めるという事よりも、手近なところですぐに成果が手に入りそうなもの、比較的即物的で容易な課題に手を出して成功体験をすぐに積み上げようとする傾向があります。また、困難に当たったときに、困難を乗り越えてそれを成し遂げるというよりは、別の可能性や才能を見つけ出す方向に向かいがちです。
結果的に双子宮(双子座)の木星は、比較的容易く目の前にあることに、あちこち手を広げているように見えてしまうのです。
蟹座の木星は満足します
巨蟹宮(蟹座)の木星は自分が既に手に入れているものに目を向け、それを守ることに注力します。拡大を求めるというよりはむしろ、ある程度の縮小は許容します。
木星の他者を導く性質と、一つの物事で着実に成果を求めるという性質が強く出るためその様に、ある程度の縮小を許容しているように外からは見えるのです。
他者を導くという性質に由来して、現時点での成果を積み上げるという事で拡大していくという事よりも、自分自身の成功体験を分かち合い、自分たちが共有することで将来的に自分たちが成功し、拡大できるように準備する事を優先します。積極的に仲間を増やすというよりはむしろ、仲間とそうでないものを区別し、囲い込むものを絞り込みます。
例えば、後進の育成を行うことが将来的な自分たちの拡大のためには必要なことであるとして、現時点の成果を追い求める事よりも、時として目の前の成果を捨ててでも、自分たちの中に成功の種を育むことを優先します。成功の成果を積み上げる事よりもむしろ、『自分たちの中に』成功の種が生まれることが巨蟹宮(蟹座)の木星にとっての拡大なのです。
一つの物事で着実に成果を求めるという性質に由来して、それ以外のものを切り捨てるように見えるため、外部からはいくつかの物事を切り捨てて、縮小を許容しているように見えます。
巨蟹宮(蟹座)の木星自身の感覚としては全く切り捨てているつもりはありません。直前の双子宮(双子座)で試したいくつかの可能性の中から、より成功の見込みが高く、成果が大きそうなものに選択と集中を行っているだけです。切り捨てている、排除しているというよりもむしろ、大切なものを守っているという感覚です。
複数の物事を同時に進めて中途半端なものをいくつも作り上げるよりも、成果を得られそうなものに絞り込み、将来の大きな成果につなげようとしている。自分たちのコアコンピタンスを作り上げるというのが、巨蟹宮(蟹座)における木星のテーマです。それは木星にとって、将来自分たちの拡大のためのプロセスという感覚なのですが、周りから見るとどうしても、自分たち以外のいろいろなものを切り捨てているように映ってしまうのです。
獅子座の木星は投資します
獅子宮(獅子座)の木星は白羊宮(牡羊座)の木星よりは周りが見えています。しかし、獅子宮(獅子座)の火星の目に映るのは、自分を承認し支援してくれる可能性がある者たちです。獅子宮(獅子座)の木星は自分の利益になりそうな他者を探し、必要であれば支援します。或いは自分自身に賛同してくれるものを探し、アピールします。
巨蟹宮(蟹座)の木星は選択と集中を行い、自分たちの中に成功の種をまくことに注力しました。今度はその種に、水を与え、肥料をやり、育ててくれる存在を探すのです。獅子宮(獅子座)の木星は、成功を生み出すためには自分たちだけがそれを行うのではなく、自分たちの行いが他者から承認され、求められ、応援されなければ成功に辿り着くことができないことを知っています。
獅子宮(獅子座)の木星は、他者からの承認と支援、協力を得るために自分自身をPRする機会を探し、自己演出をすることが自分自身の仕事であると認識しています。
但し、獅子宮(獅子座)の木星は少し注意が必要です。他者からの支援や承認を得たいがために自分を大きく見せようとして実力以上の評価を得ようとしてしまうきらいがあるため、ときに自分自身あるいは自分たちを誇張してしまいます。それは時として砂上の楼閣を生み出してしまい、足元をすくわれる隙を生み出してしまいます。
乙女座の木星は確かめます
処女宮(乙女座)の木星は自分の思いが正しいという事を確かめようとします。自分たちがこのまま進んでも良いのだ。という根拠を探そうとするのです。金牛宮(牡牛座)の木星は見返りによってそれを確信しようとしましたが、処女宮(乙女座)の木星は、成果物の中にそれを見つけ出そうとします。
金牛宮(牡牛座)の木星と処女宮(乙女座)の木星のアプローチの違いを説明するためにここですこし、三匹の子豚の例を持ち出しましょう。出展にするべき資料が見当たらないので、うろ覚えのストーリに脚色しています。
昔々あるところに三匹の子豚おりました。ある朝三匹は冬に備えて家を建てることに決めました。一番目の子豚はわらの家を立てることに。二番目の子豚は木の家を、三番目の子豚はレンガの家を建てることにしました。
もちろん、木の家やレンガの家を建てるのには手間暇がかかります。一番目の子豚は早々に麦わらの束を積み上げて、お家を立てると眠ってしまいました。一番目の子豚が目覚めると、すっかり日は傾いて、二番目の子豚はようやく木の家を建て終えて、あとは扉をつけるだけ、三番目の子豚はふうふういいながら、レンガを積み上げています。一番目の子豚は、なんだってあんなに面倒なことをと思いながら、ぬくもりの残るわらの束の中に潜り込んで再び眠ってしまいました。
二番目の子豚が扉をつけ終えて、一息ついているその横で、三番目の子豚は相変わらず、ふふういって煙突をつくっていました。空には星が瞬いて、冷たい風が吹いています。二番目の子豚は、なんだってあんな面倒なことをと思いながら、お家の中でひと眠りすることにしました。
一番目の子豚が再び目覚め、二番目の子豚も眠りから覚めた頃、空が白み始め、鈍い朝日が差しています。ようやく三番目の子豚は扉をつけ終えて、冷たい部屋にはいるとこ。二匹の豚は顔を見合わせて、なんだってあんな面倒なことをと呟いて、ぬくもり残るわが家へと戻っていきました。
季節がすっかり冬になったある日、オオカミがやってきました。オオカミは言います「子豚君、子豚君僕をお家に入れておくれよ」子豚たちは「断る」と一斉に答えました。オオカミはすっかり腹を立て、「それなら俺はぷーぷー息を吹き付けて、お前の家を吹き飛ばす」
オオカミがふうふう息を吹き付けると、わらの家は簡単に吹き飛んでしまいました。一番目の子豚はすっかりお家を飛ばされて、ガタガタ震えています。そんな一番目の子豚をオオカミは、ペロリと食べてしまいました。
オオカミが木の家にふうふう息を吹き付けると、木の家は少し揺れ、簡単には吹き飛びません。オオカミはすっかり腹を立て、お家をがたがた揺らしました。激しく揺らされると、木の家は崩れて壊れてしまいました。二番目の壊れてしまった木の家でガタガタ震えています。そんな二番目の子豚をオオカミは、ペロリと食べてしまいました。
オオカミがレンガの家にふうふう息を吹き付けると、レンガの家はピクリともしません。オオカミはすっかり腹を立て、お家をがたがた揺らそうとします。レンガの家は重たくてやっぱりピクリともしません。オオカミはすっかり疲れ果て、その場にへたり込んでしまいます。
オオカミがふと見上げると、レンガの家の煙突が目に入ります。オオカミはしめたとばかりによじ登り、煙突から飛び降ります。煙突の下にはぐらぐら煮えるスープの大鍋がありました。哀れオオカミ鍋の中。鍋のスープの具の一つ。三番目の子豚はふうふう息を吹きかけて、鍋のスープを平らげました。
waterfields
三匹の子豚の事を考えるときに、わたしは二番目の子豚がかわいそうに思います。多分それなりに頑張ったのに報われません。この話を公平な寓話にするなら、さぼってほとんど備えをしていない一番目の子豚は冬の寒空の下でガタガタ震えて丸くなっているところを食べられて、それなりに準備した二番目の子豚は、想定していなかったオオカミという脅威がやってきたことで食べられ、十分に準備した三番目の子豚は、想定外のオオカミという脅威からも身を守った。という寓話の方が個人的にはしっくりきます。
金牛宮(牡牛座)の木星はどちらかと言えば二番目の豚です。あるいはもしかすると、一番目の子豚かもしれません。金牛宮(牡牛座)の木星にとって、壁が板張りであろうが、レンガ造りであろうがそのことはあまり重要ではないのです。風を防ぎ、身を守ることができるという結果を手に入れる事こそが重要です。金牛宮(牡牛座)の木星にとっては、より早く、手軽に結果が出るのであればその方が良いことです。風を防ぐことができた。という事実によって、壁をつくるという事を肯定し、安心したいのです。金牛宮(牡牛座)の木星にとっては、目の前の課題である風を防ぐという目的を達成する方法が良い方法なのです。
処女宮(乙女座)の木星は三番目の子豚です。処女宮(乙女座)の木星にとって、壁が板張りであるのか、レンガ造りであるのか、そのことはとても重要です。今風を防ぐことができることはもちろん重要ですが、今後も充分に風や雨を防ぎ続けることができることが重要です。処女宮(乙女座)の木星にとって今直面している困難よりも、まだ顕在化していない将来のリスクが重要なのです。
製作途中で積み上げたレンガの壁の裏に回り、風を防ぐことを確認したりするかもしれませんが、見据えているのはもっと先の(もしかすると来ないかもしれない)もっと強い風であり、地震だったり、そういうものに備えているのです。より完璧な家を求めて煙突をつけたするのは磨羯宮(山羊座)の木星っぽいですが多分、磨羯宮(山羊座)の木星は四匹目の豚として豪邸を建てます。そして隠し扉や迷宮をつくったりします。
そんなわけで処女宮(乙女座)の木星は、現実的に起こりうるかもしれない将来のリスクに備えて準備し、結果現在としては充分以上な盤石な体制を築き上げようとします。
天秤座の木星は窮屈そうです
天秤宮(天秤座)の木星は、今現時点で関わっている相手との調整に追われます。木星の性質である拡大のためには、新たな挑戦や出会いを求めていきたいところなのですが、天秤宮(天秤座)の木星にとっては、今まで培ってきたものも同じくらい大切です。
双子宮(双子座)の木星は様々な可能性を探るタームでした。それに対して天秤宮(天秤座)の木星はむしろ逆、今見えているものの中で可能性の薄いものを探るタームと言えるかもしれません。いくつかの可能性の中で『将来性(可能性)のありそうなものを探す』のが双子宮(双子座)のタームであったとすれば、いくつかの結果が出ているものの中で『将来性(可能性)がなさそうなものを探す』のが天秤宮(天秤座)タームであると言えます。
もちろん今までに築き上げてきたものが快適なものであり将来に希望が持てるのであれば、機嫌よくその関係性を維持することが最善です。しかし時として、将来の目的のために現在うまくいっている物事を手放す必要があることもあります。
天秤宮(天秤座)の木星にとって悩ましいこと。それは今手に入れているものと、これから手に入れるものこの二つのバランスをいかにとるのかという問題です。木星は本来拡大を目指します。それゆえ、これから手に入れるものを最大化するための方法を考えますが、これを考える時には、これまでの礎を無視することはできません。しかしこれまで築き上げてきたもの全てを守りながら新たな挑戦をするというのはなかなかできる事ではありません。
天秤宮(天秤座)の木星の感情の根底には、現状維持ではいずれ、茹で蛙になってしまうという思いがあります。現状が快適であればあるほど、このままの状態が永遠に続くものではなく、気がつかないうちに状況がまずくなってしまうかもしれない。今のうちに先手を打っておく必要があるという思いがあります。今のうちに先手を打って、新たな挑戦をしておきたいという思いがあるのです。
新たな挑戦をするためには時に何かを捨てる覚悟が必要になります。しかし、捨てるものを間違えると、それこそ今まで手に入れてきたものが瓦解してしまうかもしれません。要になるものは残しながら荷物を軽くして、現状を変えていくために動きやすくし、行動するという事を求められます。バランスのとり方について悩み、全てが大切な要であるかのような思いと、全てが不要なものであるかのような思い。将来に対する希望と不安に揺れ動きながら、慎重かつ大胆な舵取りを求められるのが天秤宮(天秤座)の木星の性質です。
蠍座の木星は抜け出せません
天蠍宮(蠍座)は木星にとって居心地の良い場所ではありません。木星の本質はある程度堅実で安定的な発展であり拡大です。そんな木星が現状維持バイアスと闘う場所。それが木星にとっての天蠍宮(蠍座)のサインです。
もちろん堅実な発展のためには大きな変化、革新は望まれるものではありません。しかし発展や拡大は、なんの変化もなくそれを実現することはできません。木星はそのことをよく理解しています。そして、現状維持バイアスによって動かないこと、何も手を打たないことが将来のリスクになりうるということをよく知っています。もちろん現状が好ましいものであれば、あまり大きく変化をする必要はありませんし、変化をしないことも現時点では選択肢の一つではあります。
天蠍宮(蠍座)の木星は天秤宮(天秤座)のタームと同じく、何かを捨てなければ新しいことを始めることができないという思いを抱えながらも、捨てるということに対して強烈な躊躇を覚えます。堅実で安定的な発展というものを目指す中で、安定的という部分を最も期待してしまうのです。そしてこの際に、現状維持がそれすなわち安定的であるという先入観を持ってしまいます。その先入観が木星の思い描く発展に向けた行動を邪魔します。
同じ水のサインである巨蟹宮(蟹座)で木星は、自分たちが何を行い、何を行わないのかを絞り込みました。自分たちの行動を絞り込んだ結果、天蠍宮(蠍座)では、それさえしていれば安心だという感覚になります。この気持ちの裏側には自分たちの行いが間違っていたということを認めることであったり、今までつぎ込んできたものを否定することへの躊躇があり、新たなことを行うことへの恐怖感があります。それらの躊躇や恐怖心が現状維持バイアスとなって、現状が最も良いのだ、今行っている行動を変化させないことが間違いのない道筋なのだという事を裏付ける都合の良い理由を探してしまうのです。
現状が正しいということを肯定するための理由を探すという行動をとるのとは別に、天蠍宮(蠍座)の木星は今とは異なる行動をとった場合のリスクについて考えます。これもまた、現状維持バイアスのなせる業です。今のままでいることのリスクではなく、変化することのリスクを探してしまうのです。これもまた現状維持バイアスのなせる業です。
もちろん、今の状況が未来永劫続くわけではないことを木星は理解しています。状況が変化するとき、今のままの自分たちではいられないということも理解しています。しかし、今はまだ変わる時ではないという思いから抜け出せず、今でなければいつなのかと苦悩するのが天蠍宮(蠍座)の性質です。そのため往々にして、現状から抜け出せず、無理のない範囲で将来に備えるという結論に至る傾向があります。
射手座の木星は先陣を切ります
人馬宮(射手座)の木星は自ら行動する傾向があります。天秤宮(天秤座)や天蠍宮(蠍座)で感じていた窮屈さから抜け出し、自ら動き出すことで変化をもたらそうとするのです。射手座の支配星は木星ですので、多くの場合その行動をとるだけの実力を持ち合わせていると自分では考えています。
自分の裁量の幅を大きめに取り、いざとなれば自らがその責めを負う覚悟を持って、既成事実をつくろうとします。責めを負う覚悟をもって取り組むのですが、そこには打算が働いています。木星は直前のサインである天蠍宮(蠍座)で変化することへのリスクを考えています。これをさらに進めて、変化することへのリスクと、その中でも自分自身が被ることになるであろうリスクについて計算したうえで、全体が被るリスクはさておき、自分自身にふりかかるリスクについては覚悟して物事に取り掛かるのです。
ただし、人馬宮(射手座)の木星が行動に移るとき、そのリスクが発生する確率とそのリスクの大きさ両方ともが過小評価されています。特にリスクが発生したときに、自分自身にふりかかるリスクの大きさは、かなり小さく見積もられる傾向があります。
自分自身が集団の中で守られるだろうという期待が、自分自身にふりかかるリスクを過小評価させることになります。自分自身の目的を達するために行動し、その結果不都合が発生した場合、その不都合を自分の周りに押し付けることを期待し、押し付けるように行動してしまうという少し厄介な性質が顔をのぞかせます。
もちろん人馬宮(射手座)の木星が行動を起こすとき、行動の結果手に入れられる果実を独り占めするつもりはありません。もちろん多くの場合、その果実を他の誰よりも自分自身が多く手に入れて当然だとは思っていますが、行動の目的は結果手に入れた果実を皆に分け与えることにあります。皆に分け与えるという大義を手に入れることで、リスクの見積はますます甘くなります。
山羊座の木星は満たされません
磨羯宮(山羊座)の木星は十分に満たされたと感じることができません。処女宮(乙女座)の木星は自分たちがこのまま進んでも良いのだという根拠を探すために、あれこれ確認します。処女宮(乙女座)は、現実的に起こりうるかもしれない将来のリスクに備えて準備できているかどうかを確認することがテーマでした。磨羯宮(山羊座)の木星は、そこからさらに一歩進みます。正確にはさらに一歩前へ踏み外します。
処女宮(乙女座)の木星を解説する際、三匹の子豚を例えに使わせていただきました。その際、処女宮(乙女座)の木星は三匹目の子豚、磨羯宮(山羊座)の木星は四匹目の子豚としてレンガの家を超えて迷宮をつくってしまうかもしれないと申し上げました。処女宮(乙女座)の木星は、三匹目の子豚として将来起こるかもしれないリスクに備えて十分な準備と対策を行いますが、磨羯宮(山羊座)の木星はそれ以上を目指してやりすぎてしまうのです。
磨羯宮(山羊座)のサインの 性質は地道な作業を求めます。今見えている結果よりも、いかに入念に準備しているのかということが重要になります。将来への希望や不安を膨らませながらも、目の前の結果にとらわれずに今の作業を実行するということができる。地道な作業を延々と積み上げるということが出来てしまうがゆえに、どこまでも起こりうる可能性を考慮に入れて積み上げてしまうのです。
本来あるべき姿としての入念な準備とは、将来の期待値を大きくするための準備であり、起こりうるリスクに備えた準備です。磨羯宮(山羊座)の木星は今持っているものが多くはないとき、正しく将来へ向けた準備を行います。将来獲得する期待に向けた地道な準備を地道に行う事ができるのです。しかし、今持っているものが大きい場合、必要以上にこれを守り、積み上げることが将来への備えだととらえる傾向があります。
磨羯宮(山羊座)の木星は、自分自身が持てるものであるのか持たざるものであるのかにかかわらず、自分自身は持たざるものであると考えます。そのため、もっと新たに手に入れることを渇望し、今持っているものを失うことは自信を致命的に苦しめることになると考えます。持たざるものである自分が今持っている者すら失う、奪われてしまうかもしれないという思いは磨羯宮(山羊座)の木星にとてつもない恐怖感です。その結果、必要以上にリスクに備えようとしてしまうのです。結果として、藁の家でも木の家でもなく、レンガの家どころか、財宝を守る迷宮を作り上げてしまいますし、多少失っても大丈夫なようにと、必要以上に蓄えようとしてしまうのです。
論語の過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉を思い出しますが、それ以上に磨羯宮(山羊座)の木星にしっくりくる言葉が老子の中にあります。
持而盈之 不如其已
揣而鋭之 不可長保
金玉満堂 莫之能守
富貴而驕 自遺其咎
功遂身退 天之道也持してこれを盈(み)たすは、
その已(や)むるに如かず。
揣(きた)えてこれを鋭くするは、
長く保つべからず。
金玉を堂に盈(みつる)は、
これをよく守るなし。
富貴にして驕るは、
自らその咎(とが)を遺す。
功遂(と)げて身を退くは、
天の道なり。いつまでも器を満たし続けようとするのは
やめた方が良い。
刃先を鋭くとがらせすぎては
それだけ長持ちしなくなる。
財宝を倉に満たせば満たすほど、
それを守ることは難しくなる。
富や名声を得て傲慢になってしまっては、
かえってそしられることになる。
功を遂げた後は、
これを引き際とするのが天の道である。老子
磨羯宮(山羊座)の木星はまさにこの老子が戒めたことを地で行きます。杯は満たし続けようとしますし、刃先は可能な限り鋭くしようとします。財貨を脅かすものを恐れて際限なくこれを守るすべを考え、どこまでもこれを膨らませようとします。とはいえ、言葉でいうのはたやすいですが、十分であるといって身を引くということはなかなかに難しいものです。
水瓶座の木星は限界を意識します
宝瓶宮(水瓶座)の木星は理想と現実のはざまを認識することになります。自分自身つまり木星自身はもちろん、自分自身の理想に向けて進んでいます。そして、自分が『率いている』集団もまた同じ理想に向けて進んでいるということを信じています。
いや正確には、信じていました。あるいは今でもそれを信じています。しかし、その理想が高すぎるがあまり、現実とのギャップを感じ、限界を意識してしまうのです。磨羯宮(山羊座)では木星は杯を満たし続けることに傾倒していました。宝瓶宮(水瓶座)で木星は、杯に注ぎ続ければあふれ出してしまうことに気が付くのです。
永遠に杯を満たし続ける事はできないということに気がついてしまったとき、自分自身の理想を広げ、拡大し、一様に均一化しようという理想を掲げていた木星の目に、様々な限界が映り始めます。それは杯のサイズであったり、杯を満たす液体であったりに対する限界です。
自分たちの外に広がる世界と自分たちとの間に境界があり、どれほどに自分たちの世界を拡大したとしても、外の世界すべてを自分たちの理想で満たすことはできないという事であったり、自分たちの世界もまた一様ではなく、様々な多様性があり自分自身の理想と全く同じものの集団ではないという事であったりということです。
結果的に宝瓶宮(水瓶座)の木星は限界を感じ、疑問を持つことになります。宝瓶宮(水瓶座)で木星が出会うことになるその疑問とは、最終的には自分たちが杯を満たそうとしていた液体そのものへの疑問です。様々な限界を意識することで、果たして自分たちが満たそうとしている液体は本当に価値のあるもので、純粋なものなのだろうか。ということについて思い悩むことになるのです。
それは、自分自身の理念を周囲に広げていくことへの疑いであり、自分自身の理念そのものへの疑い。つまり、自分の思いを他者や自分に押し付けることは果たして正しいのか、そもそも自分自身の思いそのものが正しいものと言えるのか。という種類の疑いの中で木星は葛藤することになります。
魚座の木星は解放されます
双魚宮(魚座)の木星は宝瓶宮(水瓶座)で感じていた疑念から解放されます。その開放をもたらすものは、疑念を生み出していた物事が解決するという類のものではありません。その疑念を生み出していた『自分たち』は本当に正しいのか。『自分たち』は本当に一様に純粋であるのか。ということから『自分』は正しい。『自分』は純粋であるという思いへシフトし、それが少なくとも、『自分たち』の中では承認されている。ということへの喜びという形で解放されます。
ここで注意が必要なのは正しいという言葉についてです。
双魚宮(魚座)の中で解放される前までの木星が思い描く正しさとは正義、英語でいうところのjusticeとしての正しさ。justiceを公正という意味でとらえるならば、悪と善の対立構造をつくったうえでの善寄りの公正さとでもいう正しさです。
一方、双魚宮(魚座)の中で感じる正しさは正道、英語でいうところのrighteousnessとしての正しさです。that’s right いやむしろ、it’s rightという感覚に近い正しさです。自分自身の行動は自分としてはまさにその通りなのです。誰かにとって正しいかどうかではなく、自分自身にとって正しいことなのです。
自分にとっての正しい行いをすることは、他者の事を推し量ってするものではないのです。自分自身がそうしたいかどうか、まさにそのことが自分の行動原理であったということに、木星は双魚宮(魚座)で気が付くことになり、その行動が行えているという喜びを感じることになるのです。
What can you do to promote world peace? Go home and love your family.
世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてください。 Mother Teresa(マザー テレサ) 1910.08.26-1997.09.05
双魚宮(魚座)の木星について考えていると、マザーテレサのこの言葉を思い出します。自分たちの世界をよりよくするために、自分が最も大切にしなければならないもの。自分以外のだれにもにそれを最も大切にすることが出来ないものをみつけだし、それが自分の使命だということに気がつくということが双魚宮(魚座)における木星のテーマなのだと思います。そういえば魚座の物語は、ほかでもない親子の愛情の物語でした。