般若心経

わたしの宗教は何かと聞かれたら、
仏教徒ですという答えになります。

お正月には初詣に神社に行きますし、
クリスマスは祝いますし、なんだったらハロウィンも楽しみます。
ついでにイースターも楽しそうですし、食事を忘れて、個人的にラマダン的な状況になってしまったりするわりに、日々仏壇に向かって念仏を唱えたりすることは無く、本当に仏教とかと言われると、たまに般若心経を写経するぐらいで、熱心な信者というわけではないのですが、私のバックボーンにある思想というか、考え方は多分、日本の仏教的な、禅宗的なものです。
※おそらくですが、臨済宗の影響を強く受けていると思います。
従って、わたしの占いの内容にも、根っこの部分は、多分日本の仏教的な思想のようなものが流れたものになってしまっているのではないかと思います。
なかでも、般若心経の思想は写経してしまう程度にお気に入りの思想です。

般若心経を写経していると、
わたしが占いをするたびに思うことを思わずにはいられません。
色々と悩みや苦しみってあるけれど、結局それもうつろいゆくものなのだし、あまり意味のないことなのではないかと。
いわゆる無常観というものなのかもしれません。

般若心経では、五蘊つまり(色・受・想・行・識)は皆、空であると説いています。
色:肉体 受:感覚 想:想像 行:心の作用 識:意識
は空であると説いたうえで、いろいろなものを空であると説いていきます。そして、心無罣礙つまり、心に何も妨げるものがなければ、何も恐れるものはないと説いています。
最後に、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶というサンスクリット語のなんだかよく分からない呪文を唱えていれば大丈夫だと言って締めくくります。

ものすごく乱暴に、私なりの解釈をすると、いろいろあるけど、考えすぎないことだ、考えすぎたってあんまり意味なんてないし、元々そんなに世の中意味のあるものではないんだから。考えすぎて苦しくなったら、この呪文でも唱えて、ちょっと頭の中のぐるぐる回ってるものを追い出しなよ。というようなこととして、ありがたく写経して、頭の中を空白にしてみたりしています。

こんなことを書いていたら、ふと、
教の神は乗り越えられない試練はお与えにならない。という、新約聖書のコリント人への手紙の一説を思い出しました。
この言葉、辛い逆境にあっても人はそれを乗り越えられる。かのように解釈されている方も多いと思うのですが、ここでいう試練というのは、誘惑ということで、苦境とか、逆境ということではないのです。
どちらかというと、現状への不平不満、羨望や傲慢といったものによって、誘惑に負けて、善ならざる行動に突き動かされることを戒めた文章であると、わたしは解釈しています。

もちろん、
どうしようもない絶望や悲しみ、苦境や逆境というものは存在します。
どうしようもなくはない絶望や、苦境や逆境は、もっと存在します。
あるいは、歓喜や、絶頂というものも存在します。
そのことによって、思い悩み、萎縮したり、傲慢になったりすることは、一時の事として致し方ないものではあるけれど、ずっと続けるものではないのではないし、ずっと続くものでもないと思うのです。

バーナム効果

わたしが占いをさせていただくとき結論から言えば、バーナム効果は利用します。こう言うと、解っている連中からは、この悪徳占い師等と、お褒めの言葉をいただくのですが…この効果を利用して、わたしが誰かを操ろうとしているなら別ですが、バーナム効果って、それほど悪いものだとは思わないのです。

ウィキペディア(Wikipedia)からの引用
 バーナム効果(バーナムこうか、英: Barnum effect)とは、星座占いなど個人の性格を診断するかのような準備行動が伴うことで、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分、もしくは自分が属する特定の特徴をもつ集団だけに当てはまる性格だと捉えてしまう心理学の現象。

確かに、このような記述を毎日の星読みでもしていますので、ご確認ください。そして質の悪いことに、相反する事柄をそっと差し込んで、どちらに転んでも当たっているという状況を作り出したりもします。

ここで、占いとしての意味がない。当てにいっている。
という論法にしても良いのですが、少し違う。そう思うのです。

多分、誰にでも当てはまることについて、ご本人がどう思うのかそのことが大切で、結果として、背中を押したり、ブレーキを掛けたりすることの手助けになることができれば、それが占いの一番の意味ではないかと思います。

占いそのものによって相手の行動を決定づける必要がある。そんなシーンはとても少ないです。というか正直なところ、そこまで責任は取れないです。
明らかに星座のサインが出ていたり、タロットカードが囁いていたりする。そんな状況にお目にかかることは、ほとんどありません。
そして多くの場合、占いを受ける側が、とりたい行動あるいはとってしまう行動って大方、ご自身の中にすでにあります。
バーナム効果を狙って紡ぎだされた言葉によって、その行動の後押しやブレーキになれば幸いだと思っています。
もちろんそれが、 とりたい行動あるいはとってしまう行動 が明らかに間違っていたり、正しかったりすることもあります。でも、ほとんどの場合、実は最善という答えは無いです。

実際のところ、周囲の状況というのは、そんなに大きく変わりません。
もちろん、大きな決定や、何かの事故、突然の不幸や幸運というターニングポイントのようなものがある。事にはありますが、そうそういつもいつもターニングポイントであることは無いですし、そんな人生や世界であれば、右往左往しすぎていて、疲れてしまいます。
その一方で、いつでもどこでも、ご自身の中では、ターニングポイントにすることができます。
※この文章もバーナム効果的なものですね

そしてこれが、恐ろしいことに、人間万事塞翁が馬という中国の故事にあるように一時良いことであっても、後の不幸のもとになることもあれば、今の不幸が、後の幸運の種になることもあります。

絶望的な状況だからこそ、いつか来る幸福の為にできることを。幸福だからこそ、いつか来る不幸を避けるために備えることを。ついコメントしたくなってしまう。わたしは、そんな性格の人間なのです。