何故ホロスコープと実際の星座(サイン)がずれるのか

 

占星術で使うサイン、例えば星占いでいうところの星座は、生まれた時に太陽が度の星座を背景にしていたかで占っています。と言われるのが一般的ですが、ホロスコープ上でサイン(宮)を表す星座は、実際の星座とずれている。というお話をさせていただいたとおり、占星術で今日から木星が射手座に入りますといっても、実際の星空を見上げると、木星のバックに射手座はいません。蠍座と仲良くしているように見えます。

どうしてこんなことになったのでしょうか?

結論から言うと、近日点の移動と歳差運動によって春分点の位置がずれたのです。

そもそもサインとはなにかという説明の中で、サインとは星座そのものではなく、春分点を基準とした夜空のエリアの事で、サイン(宮)を探すための目安にした星の並びが星座です。と説明しましたが、この説明だけですと、じゃあずれていてはダメですやん。探せませんやん。ということになります。

その点については、ホロスコープが作られた当時はずれがなく、十二宮の起点は牡羊座がある位置で揃っていたので、各宮の象徴になっている星座を探せば良かったですが、今はずれているというのが正しいです。春分点の太陽の位置から30度分が白羊宮いわゆる牡羊座ですが、昔はそこに見えていた牡羊座が今はそこに見えておらず、そこには魚座が見えるという状況です。なぜずれてしまったかというと近日点の移動と歳差運動の影響でずれてしまったのです。

近日点の移動、歳差運動という言葉がいきなり出てきましたが、それは後で説明するとしてとりあえず、春分点の太陽の位置と夜空の星座の位置関係がホロスコープを作った時と違うので、今は天蠍宮は蠍座ではなく天秤座の辺りにあるということになります。

近日点の移動と歳差運動のイメージが国立天文台のサイトで説明されていますので宜しければどうぞ。

占星術におけるサイン(宮)とは何か

ホロスコープ上でサイン(宮)を表す星座は、実際の星座とずれている。というお話の続きです。

1.サイン(宮)はあくまで天球の春分点の太陽から30度ずつのエリア

2.占星術において、本来サインを探しやすくするための目安が星座

という2点が要点になります。どういうことかというと、ホロスコープにおいては白羊宮がスタートです。白羊宮の始まりの位置を春分点として、天球を30度ずつの角度に区切って一つの宮にしています。

つまり、サイン(宮)とは背景の星座が基準になっているのではなくて、30度の角度が基準になっています。天球に30度の区切りを設定すると言っても、どこから?ということになるその『どこからの部分』が『春分点の太陽の位置から』で30度づつ。ということです。なぜ春分点の太陽が基準になるのかはこちらで説明しています。

天球を30度ずつに区切った一つのピースを宮と呼ぶのですが、残念ながら夜空には区切り線が引かれていません。そこで、天球にあるあの星とその星があるあたりりが5番目の宮、こっちの赤い星辺りが8番目の宮という探し方をしたのです。

あの赤い星とか、この明るい星とか言ってもなかなかわかりづらいです。正直本当に星がよく見える場所で夜空を見上げると、アンタレスがどこにあるのかさっぱりわかりません。

しかし、赤い星(アンタレス)の周りで蠍座の配置になってる星を探すと蠍座は結構見つけやすいですし、オリオン座の三連星とペテルギウスなどは見つけやすいので、オリオンは牡牛座を相手にマタドール(闘牛士)をしていて、近くに双子座があってというように覚えておくと、牡牛座のアルデバランやすばるを見つけて、確かに牡牛座の配置になっているからとか、双子座のポルックスとカストールを見つけて周りの星の配置がこうだから等と探しやすいのです。

ということで、星空のどのあたりがどの宮になるのかを探す目安になるのが星座ということです。牡羊座の辺りが1番目の宮で、蠍座の辺りが8番目の宮というように探せるようにしたのです。そのうえで、さらに覚えやすくするために、第一宮とか第二宮と呼ばずに白羊宮とか金牛宮と呼ぶことにしたのです。

余談ですが、覚えやすくするために動物をあてているものが東洋にもあります。十二支です。元々八卦の乾兌離震巽坎艮坤を覚えやすくするために動物をあてています。坤は羊と猿をあてているので、ひつじ年は未年、さる年は申年と書きます。艮は丑寅(牛と虎)があてられていて北東の方角、さらに余談ですが、陰陽道ではこの方角を鬼門といいます。鬼は牛のように角が生えていて、虎のパンツをはいているから丑寅の方角は鬼門とか、坤は南西の方角ですので、人に形は似ているけれど(羊のように)角が生えているので、裏鬼門とか教えられました。

それでは、どうしてホロスコープで表現されている星座と実際の星座がずれてしまったのでしょうか?

ホロスコープ上の星座は実際の星座とずれている

この記事を書いている現在(2019年7月11日)、ホロスコープ上では木星が射手座の16度辺り、月が蠍座の3度~16度にいます。7月11日の惑星のアスペクトは10時頃まで、明け方頃に立て続けにスクエアとオポジションが続いて、10時頃の金星とのトラインでようやく一息つけるかなということで、日本の株式市場が開いて仲値(10時)頃まではリスクオフ気味に右往左往してから落ち着いて、じわっと日経平均が上がってくるのかしらとか。蠍座の月なので、下手に瞬間湯沸かしみたいに上昇するとかえって続かないか、むしろ下落しそうだなあとか、そんな感じでホロスコープを眺めます。

記事の推敲をしていたらすっかり7月11日から遠ざかってしまいました…。7月14日現在は、7月16日は14時頃から月は金星とオポジションになった後で土星とコンジャクション、さらにドラゴンテイルとコンジャクションいうことで、ちょっと根拠なくリスクをとる方向に挑戦して右往左往しそう。翌17日の冥王星とコンジャクションになる辺りはちょっと上下に振れるかしら。という感じで眺めています。

そんな感じでホロスコープを眺めているときに、蠍座の月というと頭の片隅にはどうしても上弦の月の隣に赤く輝く蠍座のアンタレスのイメージがあって、執着心のようなものを月に送り込む映像が浮かんでくるのですが、実際の夜空を見上げてみると、そのイメージとは少し違います。

国立天文台の今日の星空で2019年7月11日19時時点の星空を設定して調べてみると、アンタレスが隣に輝いているのは木星です。月は乙女座のスピカとアンタレスのちょうど中間ぐらいに見えます。つまり天秤座の位置です。実際に夜空を見上げるとそのように観察できます。さすが国立天文台。いつも貴重なことをお教えいただいて感謝しています。因みに火星と水星はカストルとポルックスの隣に見えますが、ホロスコープ上では獅子座に居ることになっています。獅子座のレグルスやデボネラの周りで惑星は観察できません。

ということは、実際の星空を見たときにはホロスコープでいるといわれている星座が惑星の背景に見えるのではなく、そのひとつ前の星座が見えるということになります。実はホロスコープが作られたころに比べて、今の星空はずれています。

ホロスコープ間違ってますやん。という意見が聞こえてきて、きちんと背景になる星座で表した方が良くない?という声が聞こえてきそうです。というか実はそういう動きがありました。その結果、十二星座ではなくて、蛇使い座を含んだ十三星座で占った方が良いのでは?という声までありました。そのあたりを少し踏み込んで解説してみたいと思います。

私の立ち位置は、占いとしてそれらしく説明が付けられるなら十三星座でも十五星座でも三六七星座でも何を使ってもいいと思っていますが、わたしが占う時には十二星座の方が説明しやすいのと、暦とかサイクルという観点では、実際の星座の力を惑星が得ているわけではないと考えているので、ホロスコープ上の表現の方が良いと思っています。

例えば獅子座は現在火の元素で固定の様相、天真爛漫・猪突猛進・楽天的といった象徴ですが、獅子座という星座がこの意味合いを持っているのではなく、春分点の太陽の位置から120度~150度がこの意味合いを持つと考えています。今はこの120度~150度の位置に蟹座があるということです。

この観点から実際の星座に合わせるとなると、この象徴(火の元素で固定の様相)を蟹座に負わせることになります。各星座の持つ意味はそのままでサイクルがずれるのではなく、サイクルはそのままで各星座の意味がずれるだけなので、各サインの名称はそのままにしておいた方が混乱しないと思います。

 そもそもサイン(宮)とは何か

 何故ホロスコープの星座と実際の星座がずれたのか

という観点でお話ししたいと思います。

占星術で春分点を始まりと考える理由

ホロスコープでは、白羊宮(牡羊座)を始まりとして考えます。牡羊座が始まるのはいつも必ず、春分の日です。地球が春分点にいる時をスタートにして、地球が太陽の周りを一周する世界を考えます。一周を等間隔に区切り、30度づつのピースにしたものがサイン(宮)と呼ばれます。

ではなぜ、春分点が始まりなのでしょうか?

地球上のどこに居ても、明確に今日がその日であると観察できる特定の日でなおかつ、占星術が誕生した北半球だったから、春分点を始まりにしたということだと思います。

春分とは何か

なぜ春分点が特別なのか

古代のカレンダーは10ヶ月でできていた

春分とは何か

春分の日とはどんな日でしょうか?
昼夜の長さが同じ日だと答える方が多いと思います。

その通りなのですが、ひとつ付け加えるなら、世界中で昼夜の長さが同じになる日。ということになります。昼夜の長さが同じになる日がもう一つあります。秋分点です。春分点と秋分点だけが、『世界中で』昼の長さと夜の長さが『そろう』日なのです。

なぜ春分点が特別なのか

特別な日に設定しても良さそうな日が、春分点と秋分点の他にあと二つあります。夏至と冬至です。北半球では夏至の日は昼間の長さが一番長い日で、冬至の日は昼間の長さが一番短い日だと説明されます。

しかし、夏至や冬至を知ろうとすると、その地点の太陽の高さの推移を知っておく必要があります。夏至と冬至の日というのは太陽が最も北極方向に見える日と南極方向に見える日と言い換えても良いのですが、見え方が緯度によって異なります。しかも、昼が長いとか、短いと言っても緯度によってその長さはバラバラです。夏至の日、北極では白夜になって太陽がずっと沈まないですし、南極では極夜になって太陽が昇ってきません。冬至の日にはその逆です。

しかし、春分と秋分は太陽の見え方は緯度によって異なりますが、昼夜の長さが世界中で揃います。

古代から春分点と秋分点は観察されていました。ギリシャと同じく地中海にある国であるマルタ共和国、マルタ島のイムナイドラ神殿では、春分と秋分の朝日の光が奥の部屋に差し込むように調整された巨大な石の神殿がありました。下がその神殿です。ずいぶん昔の写真を掘り返したので違う神殿かもしれません…。

マルタ島の巨石神殿

実際古代から夏至の太陽と冬至の太陽も、大事な転換点として観察されていたと思いますし、実際大事にされていた事実も残っています。
※夏至というとイギリスのストーンヘンジ(Stonehenge)や、三重県にある二見興玉神社の夏至祭りが有名所でしょうか。

が、春分点の観察は特に大切だったのだろうと推測しています。何故なら、春分点が春だからです。暦を作る時、秋の収穫を最初にするよりは、春の種まきを始まりとしたということなのか、そもそも生き物が活動を始めるのが春なのでそこ(春分点)に焦点をあてたのかはともかく、一年のサイクルの始まりの基準を春の特別な日にしたのだと思います。

古代のカレンダーは10ヶ月だった

古代ローマでは1年は10ヶ月と特に名前のない60日程度でした。そして現在の3月頃を始まりとして12月で終わり、現在でいう1月と2月は特に月として定めてはいなかったそうです。元々古代のカレンダーでは3月(春分の頃)を始まりとしていたのです。

実は現在にもそのころの名残があります。10月の事を英語でOctoberと言います。オクトーバー。オクタというと数字の8です。オクタゴン(octagon)というと八角形、オクトパス(Octopus)というと八本足の生き物つまり蛸です。因みに三角形はトライアングル(trigon)、四角形はスクエア(square)、五角形はペンタゴン(pentagon)、六角形はヘキサゴン(hexagon)、七角形はヘプタゴン(heptagon)、九角形はナノゴン(nonagon)です。アスペクトの名称と関係あることですのでおさらいです。

それはさておき、10月は8番目の月だったのです。

1月(現在の3月:March)
2月(現在の4月:April)
3月(現在の5月:May)
4月(現在の6月:June)
5月(現在の7月:July)
6月(現在の8月:August)
7月(現在の9月:September)
8月(現在の10月:October)
9月(現在の11月:November)
10月(現在の12月:December)
名前のない月(現在の1月:Januaryと2月:February)

というわけです。9月(September)のセプトもフランス語やギリシャ語の7(sept)ですね。9はフランス語でヌフ(neuf)ギリシャ語でノナ(nona)ですし、10はフランス語でディス(dix)ギリシャ語でデカ(deca)なので、現在の9月~12月は昔の7月~10月の名残が残っているということになります。

完全に私の推測ですが、元々は春分(辺り)から指折り数えて11月頃までを10個に分けて、大体種まき~収穫までのスケジュールと年中行事を決めたり、この辺でこんな漁をしたり、こんな狩りをしたり、家畜をこんなところに連れて行ったりする計画や経験則の伝承を1~9月に当て込んで、10番目の月は春まで耐える季節としていたのではないかと想像します。乙女座の物語でも一年のうちの3ヶ月ほどは、ざっくり冬になったのだと言い伝えています。

ということで、占星術では春分点を始まりの区切りの位置に置いてサイクルを見る。ということになります。