確証バイアス①

確証バイアスとラベリング効果の続きです。確証バイアスについて掘り下げていきたいと思います。多くのシーンで確証バイアスは何故よくないものと言われるのでしょうか?

確証バイアスそのものが悪いということではないです。むしろ全体としては、確証バイアスなしに物事を転がすことは不可能です。極論ですが、わたしは確証バイアスなしに物事は始まらないとまで考えています。

確証バイアスとは

ウィキペディア(Wikipedia)によると、確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。

確証バイアスがかかるものとして『仮説』や『信念』を検証する際にと言われます。仮説に対してそれを強化する証拠を集め、反証を排除しようとする行動が確証バイアスと呼ばれ反証を排除してしまうがために、間違った仮説を正しいものとして行動してしまう。ということだけであれば、確証バイアスは真理に到達する道程を阻害するものとして、何か仮説を立てた際には反証も考慮に入れて考察するべきであるから、確証バイアスはできうる限り排除するべきである。と断ずるのが正しいありようにも思うのですが、『信念』というキーワードを表に出したとたんに、それが果たして悪いものかというと、そうでもないという思いになります。

なぜなら正しいと信じた事を行うときに、果たしてこれが本当に正しいのだろうかという疑念を持って行動するよりも、疑いを持たずに時として反証の声を無視して(あるいは否定して)行動する方が行動力という点では強いと思うのです。

もしもいたずらに賢しらに、正しいと信じたことが正しくないかもしれないと言って逡巡していたのでは、実際に行動を起こすことができないかもしれません。

確証バイアスを排除しすぎると行動できなくなる

映画もののけ姫の中にわたしの心に強く残っているシーンがあります。ラストシーンでジコ坊がつぶやく『バカには勝てん』というセリフです。このセリフを耳にしたとき、映画の中で完全な善悪の対比になっていない、誰もが正しく、誰もが間違っている世界観の中で、結局自分の信念を貫き通した強さと、その強い信念をもって打ち勝つことへの憧憬を感じたのです。

確かに確証バイアスというものを意識して自分の行動を疑いの目で見ることは、間違った行動を避けるうえでは大切なことです。しかし時として、それがあっているかどうかにかかわらず行動することによって果実を手に入れることができることもありますし、正しいことに基づいた行動が必ず果実を手に入れられる行動であるとは限りません。この問題を考えるときにわたしは、AI(人工知能)研究における、フレーム問題というものを思い出します。

フレーム問題の有名な例に、人工知能に対して洞窟から宝ものを持ってくるように命じるという例があります。

洞窟の中に宝物が隠されています。宝物は何らかの罠で守られていて、それを手に入れようとするものを邪魔しているという状況を考えてください。人間が洞窟に入って宝物を手に入れようとした場合、危険が伴うためにその作業を人工知能搭載ロボットに行わせることにしました。

人工知能搭載ロボット1号が作られたとき、洞窟に入ったら宝物を探しなさい。宝物を見つけたら装備された袋にそれを入れて持って帰りなさいという命令がインプットされていました。

1号は勇敢なロボットです。ときとして落とし穴にはまり大破したり、落ちてくる天井に潰されて大破したり、燃えさかる炎に焼かれて大破したり、洞窟内をさ迷い歩いた挙句、バッテリー切れで動けなくなったりしますが、運がよければ宝物に辿り着きます。しかし、最後の罠がどうしても解決できずに宝物を持って帰ってくることができません。

最後の罠、宝物に紐で結ばれた時限爆弾です。実はこの爆弾、動かすとカウントダウンを開始して爆発するというものなので、紐を切って爆弾を動かしさえしなければ宝物を持ち出せるのですが、1号には爆弾を排除するという命令は与えられていません。ただ宝物を持って帰るという命令だけです。宝物と一緒に爆弾を持って帰らないこと。という命令は受けていません。もれなく爆弾を起動させて哀れ帰らぬロボットとなってしまいます。

さて、ロボットから宝物を発見したという通信を受けるが、その後もれなく何かの罠に引っかかって宝物を持って帰ることができないことを悟ったロボット開発チームですが、宝物ににどんな罠が仕掛けられているのかはわかりません。しかしどうやら、持って帰ろうとすると作動する様です。そこで、第二世代の人工知能搭載ロボット2号には、次の命令を書き加えます。『宝物を発見したら、それが破壊される可能性を排除してから持って帰るように』

ロボット2号も勇敢に宝物に辿り着きます。しかし今度はことごとく、宝物の前で停止して帰ってきません。全てのロボットが宝物に辿り着いても、その後停止してバッテリー切れ、哀れ帰らぬロボットとなります。ロボット2号に何が起こったのでしょうか?実は2号はありとあらゆる可能性を考えていたのです。宝物を動かしたら天井が落ちてくるのではないかとか、宝物と結ばれた紐を切ったら爆弾が爆発する可能性があるのではないかとか、宝物を破壊せずに持って帰るためには、途中で出くわした炎の部屋の炎を消火してからでなければ持ち出せないのではないかとか、そもそも袋に入れる際に宝物を破壊しないかどうかといった、ありとあらゆる可能性を考えているうちに時がたってしまい、行動不能になってしまったのです。

わたしには、ロボット1号は確証バイアスに囚われ、可能性を考慮に入れなかったことで宝物を手に入れられなかった愚か者ですが、ロボット2号は確証バイアスではないかということを疑って、何も行動することができなくなってしまった愚か者のように映るのです。

さてフレーム問題の例では次に、人工知能搭載ロボット3号が生み出されます。3号には2号に与えた命令にこう書き加えられます。『宝物を持って帰るにあたって関係のないことは考慮に入れなくても良い』と。

するとどうでしょうか、ロボット3号は洞窟に入ろうともしません。どうしてでしょうか、彼もまた考えていたのです。彼が感じるありとあらゆるものについて、それは果たして、宝物を持って帰るにあたって関係のあることなのだろうかどうかを。耳に聞こえる鳥の囀りは、宝物を持って帰るのに関係のあることなのだろうか?あるいは空に瞬く星の光は、宝を持って帰るのに関係のあることなのだろうか?頬をなぜる風は、宝を持って帰るのに関係のあることなのだろうか?ずっとそんなことを考えていたおかげで、彼は洞窟に入ることすらできなかったのです。

このように、確証バイアスにかかっているのではないかということを疑いを持たずに行動しすぎても身を滅ぼしますし、確証バイアスがかかってしまっているのではないかということで考えすぎてしまうことも委縮し、行動できなくなってしまうように思うのです。

もしも袋に宝物をしまって持って帰る途中で、紐にひかれて引きずられた爆弾が、何かに引っかかって紐が切れたとしたら、おそらくロボット1号は英雄です。しかしロボット2号や、ましてロボット3号は、そんな運の良い英雄になることは決してあり得ません。

ということで、ジコ坊の『バカには勝てん』というセリフにわたしなりに付け加えるならば、『(運のいい)バカには勝てん』ということになるのではないかと思います。

とはいえ、すべてのバカが運がいいというわけにもいかないので、ある程度可能性を考慮する必要があると言えるのですが、少々長くなってしまったので続きます。

確証バイアスとラベリング効果

『バーナム効果』『確証バイアス』『ラベリング効果』この三つは、偽占い師が使うテクニックとして有名です。わたしはこの三つどれも使いますし、意識するようにしているので、立派な偽占い師であるといえます。

『悪いもの』として扱われることの多いこれらのテクニックですが、使い方次第で『良いもの』にもなるものです。バーナム効果についてはこちらで触れていますので、今回は『確証バイアス』と『ラベリング効果』について触れていきたいと思います。ついでに『カラーバス効果』まで軽く紹介できればと思います。それぞれ詳しくお話すると、かなり膨大になるのではないかと思いますので、導入部ということで。

ウィキペディア(Wikipedia)によると、確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。

ということだそうです。占いが当たるというのも、この効果によるところが大きいということは間違いないかと思います。さらにこれに、バーナム効果が加わると、当たったこととして強く印象に残るというのが占いの種明かしです。

もう一つ星占いで大きな要素として挙げておきたいのがラベリング効果です。あなたってこうだよね。というある種の決めつけを行うことで、本人の行動がそのように行動をとるようになる。というものです。

確証バイアスを無視して占いの結果をお伝えすると、『まずお話を聞いてもらえません』占いをしているとつくづく、人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない生き物だと痛感することがあります。ご本人の自分自身に対するラベリングと確証バイアスを無視して占いの結果をお伝えすると多くの場合、全く占いの結果に耳を傾けてもらえません。

太陽星座と血液型は、すでにかなりの確率でラベリング効果が出来上がってしまっているので取り扱いが難しいところです。あまり外れたことを申し上げても受け入れてもらえませんし、そのように決めつけてかかるということになって反発を生んだりもします。因みに各サインでの太陽の意味合いはこちらです。

例えば乙女座のA型の方であれば、あなたは几帳面な性格で、細かいところまで気配りができる方ではないでしょうか。ただ、大筋でOKということでも細部が気になってしまうと苛立ってしまう。というのが玉に瑕かもしれません。リーダーとして目標を掲げて周りを叱咤激励するというよりは、どちらかといえば、計画や目標を現実に落とし込んでいくために現実的な方法論を形にしていく方が向いているのではないでしょうか。

という鑑定を散々されて、自分自身でも私は乙女座のA型だから、リーダーよりもリーダーを補佐する方が向いている。細かいところに気が付くので、重宝されているし、その性格を生かすために周りの人への気配りができるように意識している。というレベルに到達されている方も多いのではないでしょうか。

それ、ラベリング効果です。

このようなラベリング効果が出来ている方に、ひとつのことに集中すると周りが見えなくなる傾向があるようです。細かいことはさておき、物事をまずは前に進めるということを優先することができる方です。ただ、取り合えずゴールしたということで満足してしまうので、置いておいた細かいことがそのままということが往々にしてあるというのが難点でしょうか。

等と獅子座っぽいイメージをいきなり言っても、『はあ?』何言っているのこのインチキ占い師。ちゃんと見えてない人なんじゃないの?ということになりかねません。

この『はあ?』という感覚、それ、確証バイアスです。『はあ?』となるということは、その言葉が期待していたものと違うということです。

ここに書いた、大筋でOKでも細かいことが気になってしまうと苛立つ。であるとか、一つのことに集中すると周りが見えなくなる。というのは、それが大きい小さいはありますが、誰にでも当てはまることです。乙女座だからとか獅子座だからこうなったという因果関係は実際のところ疑問符が付きます。つまり、バーナム効果を狙ったものです。因果関係がないと断言してしまうと、なぜおまえは占星術なんてやっているのだ。という、わたしの存在意義にかかわってくるので、疑問符が付きます(因果関係がないとは言っていない)というスタンスをお許しください。

或いは、身近な人のアドバイスで事態が好転しそう。等といわれると、普段は無視している小言や何気ない一言が、アドバイスに聞こえたりします。それ、カラーバス効果です。

これらをできるだけ『良いもの』として使うためにもう少し、具体例を交えながらお話ししたいと思いますが、長くなりそうなのでそれぞれに分けます。

大潮 月と太陽の力

若潮という言葉は聞いたことがないとしても、大潮という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。因みに、大潮というのは潮の満ち引きが一番大きくなる日、長潮というのが潮の満ち引きが一番小さい時期を指します。若潮というのは長潮の翌日を指します。中潮と呼ばれる時期もあります。

星からの影響ということで、月と太陽から受ける影響というものは、はっきりとわかる形で影響を受けています。

太陽からの影響で大きく気温が変化しますし、満月の日には太陽が沈んだ後で月が昇り、夜道を歩くことができます。街灯もない時代には提灯や燭台の明かりよりも、月明かりの方が明るいぐらいだったことでしょう。月のない夜には星明かりを頼りに夜道を歩いたかもしれません。

気温や明るさの他にはっきりと、月と太陽の影響を受けているものがあります。潮の満ち引きです。

潮の満ち引きとは

海の高さが変わることです。正確には、海面の高さが変わることです。主に月の引力にひかれるか、月の引力が弱まることで海水が地球の外方向に引っ張られて海面が高くなる状態を満潮といいます。反対に海面を引っ張る力が弱い時を干潮といいます。

干潮と満潮の海面の高さを干満差といいますが、普通に月と太陽の影響を受けるだけで、長潮時で1m弱、大潮の時で1.5m程度の干満差が普通に出ます。単純に水面が引き上げられるだけで干満差が生じるわけではないので、場所によっては15mの干満差があったということもあるようです。

日本各地の満潮と干潮の時刻と潮位は、気象庁の潮位表で調べることができます。

大潮:月と太陽が一直線に並ぶ日

大潮というのは、月と太陽と地球が一直線に並ぶ日の潮の満ち引きの事で、満潮時と干潮時の海面の高さの差が最も大きくなる日の事をいいます。占星術的に表現すると月と太陽がコンジャクションの時とオポジションのアスペクトを取るときに大潮となります。

実際は引き上げられた海水が最も盛り上がるのは、完全にコンジャクションやオポジションの瞬間に満潮になるのではなく少し遅れます。夏至(6月)や冬至(12月)の時期に一番暑くなったり寒くなったりするわけではなく、少し遅れた時期に影響が最大になる(一番暑くなったり寒くなったりする)のと同じことで、いつも大騒ぎするのは、その力が最大の時よりも、少し遅れるものです。実際にはピークを過ぎているときに初めて、事の重大さに気が付くというものです。金融の世界でも何かが起こってピークが過ぎてからそのことについて論じていると感じることはよくあります。逆に揺れる柳に怯えすぎて、本当の幽霊が出たときには材料出尽くしといって何も動じないことも多々ありますが…。

新月の大潮は、こんな感じになります。

新月の大潮の説明

満月の大潮は、こんな感じになります。

満月の大潮の説明

月と地球の重力が合わさることで、ちょうど月と太陽と向き合う場所と、ちょうど反対になる場所の2か所で、海面が引っ張られて盛り上がるということになります。

干満の差が小さい小潮の時はどうかというと、こんな感じです。

小潮の説明

月と太陽が90度になるとき、ホロスコープでいうスクエアのアスペクトの時に月の力と太陽の力が分散されて、干満差が小さくなってしまいます。こうしてみると、スクエアのアスペクトがすれ違いを生じさせるアスペクトだということに納得がいきます。

とだけ説明すると、新月の大潮の絵の右側、月と太陽の反対側でも海面が盛り上がるというのがどうにも納得がいきません。満月の時の絵では、月と太陽がお互いに逆方向に引っ張り合うので、むしろ干満差は小さくなるのでは?という気になりませんか?わたしはなります。

しかし事実として、満月の夜にも大潮になります。このことについて、月の反対側では遠心力が働くので干満差が大きくなるという説明をされます。が、どうにも私は納得がいきませんでした。地球の自転の遠心力ということだとすると、同じ緯度であれば同じ遠心力がかかっているはずで、月と反対側の海面が盛り上がる道理にならないのです。公転の遠心力で、太陽から遠い方がやや遠心力が強いということだとすると、満月の日に月と反対側で大潮になる理由に納得がいきません。

ということで、もう少し潮の満ち引きはなぜ起きるのかを掘り下げてみたいと思います。ここから先は私の趣味です。

ざっくりまとめると、月の重力の影響で月に近い方が満ち潮になります。また、月と地球はお互いにひかれあって、ワルツを踊っているから遠心力で満ち潮になります。そして、秋分~冬至~秋分の時期の大潮の方が干満差が大きく、潮干狩りができる。ちょうどそのころに旬をむかえるのがアサリなので、潮干狩りといえばアサリだということになります。

重力による潮の満ち引き

月と太陽を比べると、月の方が潮の満ち引きに与える影響は大きいです。その差は月の方が太陽の2倍引っ張る力が強い程度です。

月の重力だけで潮の満ち引きを考える

月の重力だけで潮の満ち引きが起こる理由としては、月の方にいる時に地表(海面)は裏側にいる時よりも月に近いので、重力がより強くなるのです。※重力は物質の重さに比例し、距離の二乗に反比例します。地球と月の距離は38万4千㎞地球の直径は1万2千㎞ですから。月に近い方が月から遠い方よりも1.06倍重力が強いと言えそうです。6%というとけっこうなものです。月の方を向いているときは海面が6%強い力で引っ張られて海面が盛り上がるいうのは納得がいきます。

太陽の重力だけで潮の満ち引きを考える

太陽と地球の距離は1億5千万㎞です。地球の直径は1万2千㎞ですから、太陽の方を向いている側とその裏側では…重力はそんなに変わりません。0.01%ぐらいですので、私たちが体感できるレベルではないです。といっても、太陽の重力は大きいので(太陽の重量は月の2千700万倍)月の重力に対して173倍になります。これが0.01%変わると影響力は月の重力での影響の三分の一程度でしょうか。ものすごく大雑把に計算したので、自信ないです。

遠心力による潮の満ち引き

地球の自転だけを考えると、同じ緯度であれば同じ遠心力がかかるはずです。そのため、月の裏側で地球の自転による遠心力によって満ち潮になるという説明は間違っている。というか足りていません。

月の重力が地球を引っ張るように、地球の重力もまた月を引っ張っているのです。というかむしろ、地球の重力の方が強く月を引っ張っています。つまり、地球は月にひかれて月の方向に向かって落ちていますし、月は地球にひかれて地球の方向に落ちています。お互いの重さが釣り合う位置つまり重心を中心にして、ワルツを踊ってターンしながら、黄道面というステージで太陽の周りを踊りながら廻っているのです。

こんな感じです

重心を中心に踊りながら公転する月と地球

左側の月と地球を拡大して月から一番遠い場所Aと一番近い場所Bの月と地球の重心を中心にした動きを取り出すとこんな感じになります。

満潮時の遠心力の説明

重心の位置は地球の中心から月寄りに4千6百㎞近づいた位置にあります。ということで、月寄りの海面は重心から1千4百kmほどの位置、月と反対側の位置は重心から1万6百km程の位置になります。その差は約10倍です。ということで、月から一番近い場所では遠心力は一番弱く、月から遠いところでは遠心力が一番強く、月からの重力が一番弱いので、遠心力で海面が盛り上がるということになります。

太陽と地球でも同じことが起こるでしょうか?

答えはNOです。太陽の重量は地球の30万倍です。地球と太陽の重心は、太陽から500㎞辺りの位置になります。太陽の中です。重心からの距離は、太陽に近い側でも太陽から遠い側でも変わったと言えるものではありません。地球の表と裏の距離の差で1億5千万㎞が1億5千1万㎞になったと言っても誤差のようなものです。というか誤差です。

とはいえ、太陽から一番遠く、月から一番近いもしくは一番遠い場所では、太陽からの重力の影響が一番小さく、他の海面よりもより強く月の影響を受けるということになります。

ということで、

月と太陽の重力が合わさって新月の日中の満潮になる。

月と地球の共通重心を中心にした遠心力と太陽の重力が合わさって満月の日中の満潮になる。

太陽の重力の影響が小さく、月と地球の共通重心を中心にした遠心力の影響を強く受けるので新月の夜中の満潮になる。

太陽の重力の影響が小さく、月の重力が大きいので、満月の夜中の満潮になる。

新月の大潮 満潮の原理

新月の大潮の説明詳細

満月の大潮 満潮の原理

満月の大潮の説明詳細

年間で最も干満差が大きいのは

最後に、地球は太陽の周りを楕円軌道を描いて廻っています。そのため、地球と太陽が一番近くなるのは冬至の季節になります。ということで、冬至の満月もしくは新月の辺りでの干満差が最も大きくなります。

黄道・白道とは何か

『黄道十二星座』という言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?対して、白道という言葉は耳にしたことが無いという方の方が多いかもしれません。黄道十二星座というのはホロスコープに出てくる白羊宮(牡羊座)とか金牛宮(牡牛座)とか、少し飛ばして天蠍宮(蠍座)とか、要するに十二星座占い。つまり、星占いで名前がついているあれです。十二星座のおさらいはこちら

十二星座はなぜ、この十二個の星座が選ばれたのでしょうか?どうして、今日のオリオン座のあなたの運勢は、憧れているあの人と仲良くなれるチャンスの日。ラッキーカラーはアフリカンバイオレット。ラッキーアイテムは星型ドライバーとか。今日のこぐま座の運勢は、注意力が散漫になってミスが多い日。注意して。ラッキーカラーはコバルトブルー。ラッキーアイテムは四色ボールペン。とか、言わないのでしょうか?

黄道は星空の中を太陽が通る道

太陽の後ろに十二星座がある理由

惑星軌道が黄道面上にある理由

白道は星空の中を月が通る道

ノード 月と太陽の交差点

黄道は星空の中を太陽が通る道

黄道というものにその答えがあります。黄道というのは、太陽の通り道です。対して、白道というのは月の通り道です。

太陽の通り道と言ってもピンと来ないかもしれません。地球から見ると太陽はいつも違う場所を通っています。日本で見る太陽は、冬は低い位置を通り、夏は高い位置を通ります。
赤道付近では逆に、夏至と冬至に一番低い位置を通り、春分と秋分には真上を通っていきます。一番低い位置といっても日本の夏場と同じぐらいの高さを通るので暑いですし、北極や南極付近では太陽はいつも低い位置を通るか、顔も出さない日もあります。北半球では太陽は南に昇り、南半球では太陽は北に昇ります。

しかし、どこから見ても、太陽の後ろに同じに見えるものがあります。それが黄道十二星座です。

星空の中でいつも同じ場所を太陽は通っています。そして太陽の通り道つまり黄道と、ほぼ同じ場所を惑星も通っています。

ただ、月だけはややや大きめにずれているので、月の通り道だけは、白道と呼んで区別しているのです。※冥王星のずれも、かなり大きいのですが、とりあえずおいておきます。

太陽の後ろに十二星座がある理由

結論から言ってしまうと、地球が太陽の周りを廻るときに、平面の上を廻っているからです。
こんな感じです

太陽から見て蟹座の位置に地球がいる時に、地球から太陽を見ると、太陽の後ろに山羊座が見え、天秤座の位置にいる時には牡羊座が太陽の後ろに見えます。


もし、立体的に地球が太陽の周りを廻っているとすると、こんな感じになります。
地球が立体的に動いた時の太陽

太陽から見て、同じ天秤座の方向に地球がいる時でも、角度によってずいぶん見え方が違うはずです。地球がAの位置に居れば、私たちが見慣れた位置で星空を観察できるでしょう。Aの位置から太陽を見れば、その後ろに牡羊座が見えるはずです。しかし、同じ天秤座の位置に地球がいたとしても、Bの位置にいたとすると、太陽の後ろに牡羊座はいません。
幸いにして、地球はこんな風に立体的に太陽の周りを廻っているわけではなく、黄道面という面の上を、平面的に廻っています。

地球が太陽の周りを平面的に廻っているから、太陽はいつも黄道十二星座の前を通り、他の惑星もまた、ほぼ同じ平面状を通っているから同じく黄道上に見えるのです。

惑星軌道が黄道面上にある理由

地球を含めた惑星の軌道は黄道面上にあるのですが、なぜ、立体的に太陽の周りを飛び回らずに、平面的に廻るのでしょうか。


太古の昔、宇宙はガスの雲でできていました。雲の中の澱みが小さな塊になると、その塊の重力にひかれて、渦ができ始めました。その渦の中にもまた小さな澱みができ、渦の中に渦を作り始めます。この渦が、銀河系であり、太陽系であり、惑星です。

澱みの重力にひかれたガスは、中心に吸い寄せられます。一方で渦は中心の周りをぐるぐる回るので、遠心力が働きます。重力よりも遠心力の方が強ければ、彼方へと飛んでいきます。

ピザ職人がピザ生地を空中でくるくる回して伸ばしているのを見たことがあるでしょうか?最初はボールのように丸かったピザ生地が、空中に投げられ、回転すると、どんどん薄くたいらになっていきます。永遠にピザ生地を回していると、ピザ生地は薄く薄く、永遠にどこまでも伸びていきます。そんな感じで、中心の周りを廻っているガスが、薄く平になっているのが黄道面。生地の中で少し、生地がかたよってだまになっているのが惑星。というわけです。

おしまい。というと、遠心力で伸びていくなら、地球はどんどん太陽から遠ざかってしまわない?という不安にかられるのですが、ここで先に言った重力が出てきます。ピザ生地の中心には重力がないので、どこまでも伸びていきますが、太陽系の中心の太陽には重力があります。太陽の重力に引き寄せられる力と、遠心力で太陽から離れていく力、これが釣り合った位置と速度で惑星は廻っているので、太陽に吸い寄せられていくこともなく、太陽から遠く離れていくこともなく、同じ軌道を廻っているのです。

白道とは

白道とは月の通り道です。ホロスコープ上の星の中で月と太陽は特別な星です。太陽系の中心が太陽で、地球を含めた太陽の惑星が廻っているのが黄道面です。そういう意味で、黄道面とは太陽の通り道という言い方よりも、惑星の通り道という言いまわしの方が正しいかもしれません。

月は太陽系の惑星ではありません。地球の衛星です。そのため、太陽の引力の影響よりもむしろ、地球の引力の影響を受けています。太陽がその大きさゆえに、地球に大きな影響を与えているとすれば、月は地球との近さゆえに、地球に大きな影響を与えています。

地球が太陽の周りの同じ平面を廻っているように、月は地球の周りの平面を地球と一定の距離を保ちながら廻っています。その平面と距離が白道というわけです。

白道は黄道に対して少し約5度傾いています。
こんな感じです

月の通り道-白道の説明

白道と黄道に約5度の角度があるので、地球から見ると、月と太陽の通る高さに違いが出ます。この絵ですと、月が右側にいる時には太陽よりも高い(北寄りの)位置を月が通ります。左側にいる時には太陽よりも低い(南寄りの)位置を月が通ります。太陽の高さと月の高さが一致するポイントの事をノードとよびます。ノードいつも同じ位置にあるわけではなく、ホロスコープの中を移動します。

他の惑星の軌道も若干、黄道面からは傾いているのですが、地球からの距離が月と地球に比べると圧倒的に遠いので、ほとんど同じ面を巡っていると言って良いレベルで太陽と同じ位置を通るように観察できます。

ノード 月と太陽の交差点

ホロスコープの中で、月がこの点を通り過ぎると太陽よりも高い位置(北寄りの位置)を通る点を昇交点と呼びます。逆にこの点を通り過ぎると太陽よりも低い位置(南寄りの位置)を通る点を降交点と呼びます。

昇交点と降交点では月と太陽の高さが揃うので、この位置で新月を迎えれば日蝕が、この位置で満月を迎えれば月蝕が起こるのです。

昇交点と降交点には複数の呼び方があります。
昇交点をアセンディングノード(ascending node)またはノースノード(north node)、降交点をディセンディングノード(descending node)またはサウスノード(south node)と呼びます。ここを超えると上に行くとか、北に行く。ここを超えると下に行くとか、南に行くという意味ですね。

占星術では、昇交点の事をドラゴンヘッド、降交点の事をドラゴンテイルと呼びます。

夏は暑く冬は寒い理由

夏は暑く、冬は寒いです。とても当たり前のことですが、どうしてだか知っていますか?わたしはつい、暑すぎると地球が太陽から遠ざかってくれたらいいのにとか、寒すぎるともう少し地球が太陽に近づいてくれたらいいのにとか、そんなことを考えてしまうのですが、それは間違いです。むしろ北半球では。太陽からの距離は夏の方が太陽から離れているのです。

夏は暑く冬は寒い理由。結論を書いてしまうと、太陽の光があたる角度が違うのです。
地球は太陽の周りを楕円で廻っているので、確かに太陽に近づいたり、遠ざかったりしますが、そのことで地球の気温に大した影響はありません。太陽が強火になったり弱火になったりして火力調整しているかというと、そんなこともありません。太陽の光があたる角度が変わるからあたっている場所の温度が変わるのです。

地球は太陽の周りを楕円で廻っている

地球は太陽の周りを廻っていて、その軌道は楕円軌道になっています。とだけ聞いてしまうと、下のような絵をイメージしてしまって、成程、太陽に近づいたり遠ざかったりしているのだ。だから暑くなったり寒くなったりするのね。などと分かったような感じになってしまいます。地球と太陽の距離が地球の温度に影響を与えて、いないこともないとは思いますが…、楕円といってもほとんど円みたいな楕円ですし、先に申しあげた通り、北半球では夏場の方が太陽からの距離は遠いので、太陽からの距離は気温に影響はないと言って差し障りがないかと思います。


地球は楕円軌道している
地球の楕円軌道

地球がこの位置に居るとき、太陽から最も離れているから、冬の時期と思ってしまうが間違いです。この位置に地球がいるとき、太陽が見えるのは蟹座の方向のはずです。
楕円に合わせてホロスコープを置くと、上の絵の太陽の真上が春分点、真下が秋分点です。つまり春分点の時に地球がいる位置が太陽の真上で、その時太陽は牡羊座の方角に見えることになるので、こうなります。
楕円軌道に合わせてホロスコープを回す

ですので、地球が太陽から離れているのに、太陽が蟹座や獅子座の方向に見える季節。つまり夏の季節になります。
それに、北半球が夏なら南半球は冬です。南半球のサンタクロースは水着を着て、サーフボードに乗ってやってくるそうですよ。

太陽が強弱をつけている?

太陽からの距離が関係ないとすれば、どうして夏は暑く冬は寒いのでしょうか?太陽からの距離が地球の温度に関係するというイメージは、太陽が同じ強火でも、近火になれば激しく熱が伝わるし、遠火になればあまり熱が来ない。炭火で焼肉とか魚を焼く時のイメージですね。冬に焚火に近づかないと温まれない感覚です。
火にあたるイメージで、夏になると太陽がもう少し弱火になってくれないかな。とか、冬になるともう少し強火になってくれないかな。とか思うわけですが、これもまた間違いです。
確かに、夏の日差しは強く、冬の日差しは弱いです。ですから、太陽が火力調整していると言われると、うっかり信じてしまいそうです。

しかし、もしそうだったとするとやはり、北半球が夏の間、南半球は冬。北半球が冬の間南半球は夏。ということの説明がつきません。

太陽の熱を発する力の強弱が変わっているわけではありません。そんな、ガスコンロみたいな機能が太陽についているわけではありませんし、もし少しでも太陽が弱火になったら、多分地球は丸ごと氷になりますし、少しでも太陽が強火になったら、地球は溶けてなくなるかもしれません。

太陽の光があたる角度が違う

太陽の光があたる角度が違うというのはどういうことでしょうか?地球は太陽の周りを廻りながら(公転)、自分自身もその場で廻っています(自転)。ぐるぐる回りながら移動する、焼き鳥の串みたいなもので、焼き鳥の串に相当するのが北極と南極を結んだ自転軸となります。その自転軸。太陽の周りを廻る角度と垂直ではなくて、少し傾いているのです。結果、場所によって太陽の光があたる角度が違うのです。
こんな感じです。焼き鳥のつくねみたいな絵になりました。

地球の赤道傾斜角

この絵だけ見ると、やっぱり、冬の方が太陽に近くて暑そうですね…
ではこの絵だとどうでしょう。
夏と冬の日のあたり方の違い
夏場は太陽に向かって、少し前のめりに傾いているので北半球では太陽の光のあたる角度が90度に近づきます。逆に冬場は、太陽に対してのけぞっているようになるので、90度から離れます。
結果、同じ面積の地表に夏場は7本、冬場は5本の線があたっているということになるで、あたっている線の本数が多い方が暑いということになるのです。

先の絵では、夏の光は90度であたっているように書きましたが、日本では90度までの角度にはなりません。夏至の時に太陽の光が真上から、90度であたるのは北回帰線(北緯23.26度)冬至の時に太陽の光が真上からあたるのは南回帰線(南緯23.26度)の地域です。日本だと、沖ノ鳥島辺りで夏至の時に太陽が真上からあたります。
東京の北緯36度を考えると、夏至の太陽は77.4度の角度、冬至の太陽は30.6度の角度で日が差し込むので、ずいぶんと光のあたり方が違います。

赤道付近では、春分の日と秋分の日に太陽の光は頭上から降り注ぎます。なので、夏至には113.4度 冬至には66.6度の角度という計算になります。つまり夏至には北の空に66.6度、冬至には南の空に66.6度の角度になります。常に90度の角度に近い方に日の光はあたるので、暑いです。

北極付近では夏至には23.4度、冬至には-23.4度の角度で日の光が当たるので、夏は地平線付近でずっと太陽が出ている白夜がおこりますし、北緯66.6度以上では1日中日が昇らない極夜が起こります。ずっと低い角度で日が当たるので、寒いです。

四季について

地球の軸が傾いているから、そして私たちが、四季ができる緯度の場所、日本に住んでいるから四季があるのです。
そういえば、乙女座の物語の中で、デメテルが神様の仕事をしない間冬ができたというストーリーがありました。それまでは四季がなかったのでしょうか?
この物語を考えた人々は、四季があることへの感謝の気持ちを込めてこの物語を考えたのでしょう。
しかし、もしかすると、彼らが四季のある場所へ移住したことを暗示しているかもしれません。
更にひょっとすると、太古の昔は地球の軸は今の北極と南極ではない場所にあって、軸の傾きが変わったから、大きく気候が変わってしまったということを暗示しているのかもしれません。
完全に根拠(ソース)のない想像ですが。

星占いの星座と夜空の星座が一致しないわけ

テレビや雑誌の星占いで、獅子座だからとか、私は水瓶座だからといって、お誕生日に夜空を眺めて、自分の誕生日の星座を探そうとしたことありませんか?

わたしはあります。

絶対に見つけられない。ということに気が付き絶望したものです。

冬の星座として有名なオリオン座、オリオン座は獅子座と戦っています。つまり夜空に獅子座を見つけられるのは冬ですし、赤い星アンタレスが妖しく輝く蠍座は夏の星座の代表のような存在です。
一方で、獅子座生まれのあなたと言えば、7月23日~8月22日生まれのあなたという意味ですし、蠍座生まれのあなたと言えば、10月24日~11月22日のあなたという意味です。

そうなのです。誕生日に、自分のサインの星座を探そうとしても、夜空の星の中に、それを見つけることはできないのです。

あなたの誕生日、あなたの星座は太陽と共にあります。

雑誌やテレビで見かける多くの12星座占いはホロスコープ上、太陽が見える方向にあるサイン。それを誕生日の星座として占っています。もしかすると、あなたの生まれた時に。月が見えている方向とか、木星が見えている方向で占っているものも、あるにはあるかもしれませんが、ごく稀だと思います。
お誕生日に太陽の後ろにある星座があなたの星座です。
※ホロスコープ上のサインは、夜空を12等分したところに、大体その辺にこの星座があるから、この名前にして覚えておこうというものなので、厳密には星座の位置とずれます。

ということで、夜空をいくら探しても、太陽と共に沈んでしまったあなたのサインを見つけることはできないのです。

お誕生日には太陽を眺めて、その後ろにあるあなたのサイン。太陽の輝きに隠れて見えないけれど、確かにそこにあるはずのサインを想像してみてください。

九星占い

九星も学んでみては、とお声がけいただいたことがあります。

九星では春分点と秋分点、冬至と夏至を基準にして1年を24節で区切りながら、バイオリズムが巡っていくという考え方なので、春分点を牡羊座の始まりとして考える星占いと相性が良いのではないか、というお話からのきっかけだったかと思います。

九星ご存じですか?
九星という言葉は聞いたことがなくても、一白水星とか五黄土星という言葉は耳にしたことがあるという方は多いのではないでしょうか?

乱暴に言ってしまうと、
A.1年を24個に分割して春夏秋冬に六節づつ割り当てる。
B.冬至が冬の真ん中として、春の始まりになる 立春(夏至から8分の1年後つまり三節)を起点にして一年の区切りとする。
C.年単位で九星が巡る。
D.2節(ひと月)ごとに月単位の九星が巡る。
E.日単位で九星が巡るが、冬至近くと夏至近くで日単位の九星の巡り方が逆になる。
 ※冬至近くからは一⇒二⇒三⇒四 夏至近くからは九⇒八⇒七⇒六
F.九星は
 一白水星
 二黒土星
 三碧木星
 四緑木星
 五黄土星
 六白金星
 七赤金星
 八白土星
 九紫火星
G.九星盤という数字の魔法陣をベースにしたものを使う(3×3マスに1~9の数字を入れ、縦横斜めの3つの数字の合計が15になる配置)
 魔法陣通りに数字が並ぶ五黄土星の九星盤

五黄土星の九星盤

H.九星といって、水星とか土星が出てくるが、空の星や星占いの星は関係ない。むしろ五行(木・火・土・金・水)の方が関係する。
I.何やら吉方位や凶方位がある
辺りで挫折しました…何やら、とか言い始めてます。

九星と星占いの相性が良いと書きましたが、
星占いとの共通点としては、一年(太陽の周りを地球が一周する期間)を等間隔に区切る辺りでしょうか。

大雑把に計算すると、
太陽(の周りを地球が好転する公転周期)が365.242日
月の公転周期が27.32日ですから、
太陽(地球)が一巡りする間に月は13.36回っている計算になります。
そうすると、9年に一度ほぼ同じ日に、月と太陽の位置関係が同じに・・・・・・なりませんでした・・・・・・

そんなに簡単なものでなかったです・・・

252年に一度程で、月と太陽の位置関係がほぼ同じ感じになります。
この時に九星も同じ九星盤の配置になります。と書くと、いかにも九星と占星術に因果関係が出ているように感じるのですが、種明かしをすると、ある日を基準にして、月と太陽の位置関係が似た感じになるのは
  84年後 168年後 252年後 271年後 336年後
 355年後 420年後 439年後 504年後 辺りです
(公転周期についてはこちら)
その中から、同じ九星盤の配置になる年(公倍数の年)を選んでみたわけです。

とはいえ、公転周期と時代のバイオリズムでは84年 168年 252年サイクルがあるような気がすると書きました。
ここでもやはりなんとなく、90年位、180年位、250年位で時代の波というかうねりのサイクルがあるような気がしてきます。

歴史は繰り返すと言いますが、きっと占いというのは、その繰り返す歴史のうねりというか、波に法則性があるのではないかという直感を説明するために、いろいろと因果関係がありそうなものを探し続けた結果、使えそうな(気がする)理屈をまとめたものなのかもしれません。

バーナム効果

わたしが占いをさせていただくとき結論から言えば、バーナム効果は利用します。こう言うと、解っている連中からは、この悪徳占い師等と、お褒めの言葉をいただくのですが…この効果を利用して、わたしが誰かを操ろうとしているなら別ですが、バーナム効果って、それほど悪いものだとは思わないのです。

ウィキペディア(Wikipedia)からの引用
 バーナム効果(バーナムこうか、英: Barnum effect)とは、星座占いなど個人の性格を診断するかのような準備行動が伴うことで、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分、もしくは自分が属する特定の特徴をもつ集団だけに当てはまる性格だと捉えてしまう心理学の現象。

確かに、このような記述を毎日の星読みでもしていますので、ご確認ください。そして質の悪いことに、相反する事柄をそっと差し込んで、どちらに転んでも当たっているという状況を作り出したりもします。

ここで、占いとしての意味がない。当てにいっている。
という論法にしても良いのですが、少し違う。そう思うのです。

多分、誰にでも当てはまることについて、ご本人がどう思うのかそのことが大切で、結果として、背中を押したり、ブレーキを掛けたりすることの手助けになることができれば、それが占いの一番の意味ではないかと思います。

占いそのものによって相手の行動を決定づける必要がある。そんなシーンはとても少ないです。というか正直なところ、そこまで責任は取れないです。
明らかに星座のサインが出ていたり、タロットカードが囁いていたりする。そんな状況にお目にかかることは、ほとんどありません。
そして多くの場合、占いを受ける側が、とりたい行動あるいはとってしまう行動って大方、ご自身の中にすでにあります。
バーナム効果を狙って紡ぎだされた言葉によって、その行動の後押しやブレーキになれば幸いだと思っています。
もちろんそれが、 とりたい行動あるいはとってしまう行動 が明らかに間違っていたり、正しかったりすることもあります。でも、ほとんどの場合、実は最善という答えは無いです。

実際のところ、周囲の状況というのは、そんなに大きく変わりません。
もちろん、大きな決定や、何かの事故、突然の不幸や幸運というターニングポイントのようなものがある。事にはありますが、そうそういつもいつもターニングポイントであることは無いですし、そんな人生や世界であれば、右往左往しすぎていて、疲れてしまいます。
その一方で、いつでもどこでも、ご自身の中では、ターニングポイントにすることができます。
※この文章もバーナム効果的なものですね

そしてこれが、恐ろしいことに、人間万事塞翁が馬という中国の故事にあるように一時良いことであっても、後の不幸のもとになることもあれば、今の不幸が、後の幸運の種になることもあります。

絶望的な状況だからこそ、いつか来る幸福の為にできることを。幸福だからこそ、いつか来る不幸を避けるために備えることを。ついコメントしたくなってしまう。わたしは、そんな性格の人間なのです。