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イソップ物語 酸っぱい葡萄

占いをしたときに、古典からの引用を交えてお話させていただくというのは私が良く使うテクニックの一つですが、比較的多く引用しているお話の一つがイソップ物語です。イソップ物語の中でも『酸っぱい葡萄』と『塩を運ぶロバ』が比較的お気に入りなようで、引用頻度が比較的高いです。『北風と太陽』や『ウサギとカメ』も比較的多い気がしますが、酸っぱい葡萄はかなり使い勝手が良いので利用頻度が高いです。

The Fox and the Grapes.
A famished Fox saw some clusters of ripe black grapes hanging from a trellised vine.
She resorted to all her tricks to get at them, but wearied herself in vain, for she could not reach them.
At last she turned away, beguiling herself of her disappointment, and saying: “The Grapes are sour, and not ripe as I thought.”
Revile not things beyond your reach.

プロジェクト・グーテンベルクからの引用です

脚色を加えて翻訳させていただきます。

酸っぱい葡萄(原題は 狐と葡萄です)

ある日おなかをすかせた狐が歩いていました。
お腹すいたな。喉が渇いたな。暑いな。などと考えながら、とぼとぼと彼女が歩いていると、木陰がありました。
木陰で少し休んでいると、甘い香りが漂ってきます。ふと彼女が上を見上げるとそこには、たわわに実った葡萄が実っていました。
葡萄は木漏れ日をうけてキラキラと輝いています。
(原文では、おなかをすかせた狐が熟したブドウの房がぶら下がっているのを見つけたと書かれているのを、かなり脚色しています。)


あの葡萄が食べたい、そう思った狐は大きく伸びあがって葡萄をもぎ取ろうとします。しかし葡萄は彼女の背丈よりも高い場所にぶら下がっていて、葡萄に手は届きません。
少し跳びはねてみましたが、やっぱり届きません。
彼女は何度も何度も彼女は跳びはねて、何とかして葡萄をもぎ取ろうとします。
しかしやっぱり彼女は葡萄に手が届きません。
彼女はすっかりくたびれてしまいました。
(原文では、いろいろ手を尽くして葡萄を手にしようとしましたが、疲れただけで、結局手が届きませんでしたと書いてあるのを、かなり脚色しています。)


結局彼女は諦めて、自分自身を慰めるためにこう呟きます。
『あの葡萄は酸っぱいに決まっている、思ったほど熟していないに違いない。』
手に入らなかったものの事を考えても仕方がない。

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酸っぱい葡萄と甘いレモンの心理効果

私たちはえてして、手に入らなかったものを諦めるために、こんな行動を取りがちです。自分自身の至らなさは棚に上げて、どうせあの葡萄は酸っぱいと言って自分を慰めるのです。反対に自分自身が手に入れているもので納得するために、甘いレモンという事も行います。わたしは占いの結果をお伝えするために多くのケースで、これをセットで使います。

例えば就職。希望の会社に入れなかった時などに、もしあの会社に入っていたらきっと、過酷な労働環境でつらい思いをしていたに違いない。確かに給料は良いかもしれないけれど、残業や休日出勤が多いに違いないし、従業員同士の競争で疲弊するに違いない。今の会社はまあ、最高というわけではないけれど、生きていくのに必要な給料は手に入るし、それなりに自分の時間も取れている。などという事を考えたりします。これ、就職できなかった会社への思いが酸っぱい葡萄です。今の会社への思いは甘いレモンですね。

或いは恋愛。好きだったあの人とは付き合えなかったけれど、きっとあの人と付き合っていたら浮気の心配や、自分とは不釣り合いだという劣等感に苛まれることになっていたに違いない。今の相手はまあ、最高というわけではないけれど、いろいろと気遣いをしてくれて落ち着く相手だからよかった。とか、付き合っていないお陰で、自分一人の自由になる時間が持てている。もし付き合っていたらこんな自由な時間はなかったから、付き合えなくてよかった。などと考えたりします。

酸っぱい葡萄の心理や甘いレモンの心理は決して悪いものではありません。自分自身を納得させるための手っ取り早い方法としては『あり』だと思います。しかし、酸っぱい葡萄で相手の事を貶めたり、甘いレモンで現状に甘んじて行動しない言い訳にしてしまうのは『なし』です。甘いレモンは時に、足るを知るという意味で現状に留まる理由にする事も有効な処方箋かと思いますが、酸っぱい葡萄だと思って自分を慰めたなら、それあるいは、それを欲しかった自分の事は、早めに忘れた方が良いです。 Revile not things beyond your reach. です。

自分の精神状態を速やかに安定させるためには有効な方法ですが、私たちはしばしば、酸っぱい葡萄の情報を収集しようとしてしまいます。例えばあの会社は離職率が高いなどという情報を見つけて、ああ良かった。もし私があの会社に入っていたとしたら、今頃きっと辞めていて路頭に迷っていたに違いないなどと考えたりします。

あんなに欲しかったもののネガティブな情報を集めてしまう状態。これはマイナスの確証バイアスがかかってるという事になります。かつてはそれを手に入れた後の幸せを夢想して、プラスの確証バイアスをかけて情報収集していたはずなのですが、その思いが強ければ強いほど執拗にマイナス面を探してしまうのです。

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死んだ子の歳を数えない

相場の世界でよく聞く格言の一つに『死んだ子の歳を数えるな』という格言があります『利食い千人力』とか『見切り千両』とかいう格言とセットで言われることが多いかと思います。例えば買っていた株を売って利益を確定した後で、その時よりも株価が上がっていくのを見て、もう少し持っておけばもっと利益があったのにとか、買っていた株が下がって損切した後で株価が盛り返してきたのを見て、もう少し我慢していれば等と思うときに、利食い千人力だから利益が出てよかったと思いなさい。死んだ子の歳を数えてもしょうがない。とか、見切り千両と言って、あのまま持っていたとしても必ず上がるという確信が持てていたわけではない。傷を広げないという意味では正解だった。死んだ子の歳を数えてもしょうがないなどと言って使います。

特に損切した後はむしろ、損切した値段よりも下がってくれた方が精神衛生上宜しくて、ついついネガティブな情報を収集しがちです。損切した値段よりも回復しているのを見てしまうと発狂しそうになって、冷静な判断ができなくなったりします。そんなことをさけるために、死んだ子の歳は数えるな。休むも相場、布団かぶって寝ておけなどとって使うのです。

あの葡萄は酸っぱいさと言って諦めた狐に向かって、食べてみたけど葡萄は酸っぱくて、おいしくなかったから転げまわったとか、おなかを壊したとかいうネズミがいたら狐は多分、自分がお腹を空かせていたことを忘れて、そのネズミを心の友と呼ぶでしょう。
反対に、葡萄めっちゃくちゃジューシーでおいしかったよ。食べられなくて残念だったね。などというネズミがいたら多分、狐は何がなんでもそのネズミをできる限り残酷な方法で血祭りにあげるでしょう。

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占いでの使い方

酸っぱい葡萄のお話をさせていただくときには、ピンポイントでその物事の良し悪しを指し示すというよりは、どんな行動をしていたとしても全ての後悔がない状態というのはあり得ない。その時々でベターな選択があるだけで、ベストな選択はない。という使い方をすることが多いです。
例えば、星のカードの逆位置と女帝のカードの逆位置、死のカードの逆位置なんてものが出た時には引用のチャンスです。
星のカードは目指すべき目標や希望といったものを表しています。このカードの逆という事はそれつまり希望の星が雲にかかってしまって見えなくなっているようなイメージです。女帝のカードの逆位置は嫉妬心とか、固執する。妬みや嫉みを象徴するカードです。ちょっと物事に固執してしまっている感じがして、なんとなく後悔のようなものがあるのではないでしょうか。ちょっと高望みしすぎて手に入らなかったり、あるいは充分な期待通りの結果が得られなかったりしたという事はありませんか?などと言って一呼吸置きます。
結果を手に入れられていない不満があれば、何らかの後悔が生まれます。結果を手にしていたとしても、もっとうまくやれたのではないかという後悔が生まれます。後悔のない人は多分いませんし、いたとしてもそんな人は占いを求めていません。 バーナム効果を狙った鑑定です。
そして、イソップ物語の中に酸っぱい葡萄というお話がありまして。と言いながらお話を引用します。このように私たちはしばしば、自分の力が及ばず手に入れられなかった果実を蔑むことで自分の留飲を下げて心の安定を図ったりします。あるいは、酸っぱい葡萄の反対で甘いレモンという心の動きもあります。これは自分自身の手に入れているものを価値があるように思いこむことで自分を正当化するための心の動きです。などというコメントを入れさせていただきます。
これも多分、思いあたらない方の方が少ないかと思います。そして往々にして自省されたりするので、ここで救いを入れます。
さて、酸っぱい葡萄にしても甘いレモンにしてもそれ自体は心の動きとして悪いものではありません。諦めたり、満足したりするための心の動きとしては自然なものですし、むしろうまく使うことで切替がスムーズにいくものだったりするのでうまく利用すればよいと思います。要は切替の為にこの心の動きを利用してやれば良いのです。手に入れられなかったものに固執しすぎないという事が肝要になります。
ところでここに、死のカードの逆位置が出ていることに注目してほしいのです。死のカードの逆位置は再生とか出発を意味するカードです。正位置ですと死のカードは終焉というか、停滞をあらわすのですが、逆位置ですと冬が終わり春が来る一つ手前の状態。まだはっきりと芽は出していないけれど、新たな胎動が土の中で始まっている。そんな状態です。
過去にとらわれることなく、新たに行動を起こすことで果実を手に入れることができる。もちろん新たな行動というのは全く別の道という読み方もできますが、どちらかといえばこのカードは今まで自分がいた場所に落ち葉が落ち、土に十分な栄養が蓄えられていて、そこから再出発するような印象が強いです。突拍子もないことを始めるというよりはむしろ、自分自身が今まで蓄えられた力を少し目線を変えて再出発することで成功する。そんな予感をカードは伝えてくれているのではないでしょうか。などとコメントさせていただくとおさまりが良い感じです。もちろん死のカードのコメントでも、バーナム効果を狙っています。