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四弘誓願とベッポの言葉

衆生無辺誓願度

衆生無辺誓願度とは、世界にいるあらゆるものを慈しみ救うという誓いです。この世のありとあらゆるものを度する(救う)という誓いです。無辺つまり果てがないこの世のものすべてを救うという誓いですので、達成することはできません。しかし、そうすると誓うということだと諭された記憶があります。

衆生というのはこの世のありとあらゆる命あるものの事です。この世のもの全てだと思っていただいて大きく間違っていないと思います。

無辺というのは果てがないという事です。

誓願というのは誓うという事です

度というのは救うとか許すという事です。誰かがやったことに対して度し難いという表現を使うことがあると思いますが、度し難いの度です。度するというのは救うとか許すという意味なので、度し難いという言葉を言い換えると救いがたいとか、許しがたいということになりますよね。

小さい頃のわたしは、世界中のありとあらゆるものを救うというスーパーヒーローを目指すという事なんだな。高い志をもって生きていくのは尊い。とか言うと、周りの大人に褒められてうれしかったのでそんなことを知ったようにのたまっていました。

小さな頃は世界が狭く単純だったので、勧善懲悪的な救うというイメージで良かったですし、世界は半径2㎞ぐらいの自分の周りの小さな世界だけだったのでわかりやすかったのですが、大人になるにつれてだんだん難しくなります。

大人になるにつれ利害関係が出てきますし、そもそも世界は広いという事や、立場によって正義が相反するということを知ることになります。結果世界中を救うという事はましてすべての生きとし生けるものを救うということは果てがなく、達成不可能だという事を知ることになります。

ですから衆生無辺誓願度というのは曲解すると、達成できないけれど目指して頑張り続けるものです。そのまま受け取ると徒労感と絶望感が襲ってきます。地平線の向こう、どこまで続いているかもわからない、途方もなく長い道路をこれから掃除するベッポの気持ちでしょうか。

達成できないことを考えると途方に暮れてしまいますが、達成できないからこそ、今できる事自分の周りを救い許すという事だと思うと急にさっぱりとして楽しくなってきます。自分の世界が半径2㎞程度なのであれば2㎞の世界を、もっと言えば今は今の目の前の事を楽しく救い、許せばいいのです。

目の前の人が喜ぶこと、救う事、許すことをたのしみ、きっとこれが世界を救うことにつながると信じることが衆生無辺誓願度という事だと思います。

煩悩無尽誓願断>>